格差コンビ麒麟の田村裕。『ホームレス中学生』の大ヒットはマイナスも大きかった
中学生のときに突然、父親から「解散!」と宣言され、住む家を無くし、近所の公園で生活を始めた人生を綴ったノンフィクション本『ホームレス中学生』(ワニブックス刊)を27歳で発表した田村裕。 【インタビュー写真】俺のクランチ-田村裕-(撮影:黒木早紀子) 発行部数225万部を突破する大ヒット作品となったが、田村の人生においての“土壇場”は、ホームレス時代だけでなく、本のヒット以降、さらに現在に至るまで続いているという。「基本、土壇場続きだった。人生において、余裕を持って居心地よく生活しているときがないです」という、これまでの歩みを聞いた。 ◇ポテトを食べてた田村に川島の怒号 養成所で出会った川島明と麒麟を結成し、デビューしたのは1999年。その2年後には『M-1グランプリ』で決勝に進出し、バラエティ番組などでも田村の生い立ちがスポットを浴び、2007年に『ホームレス中学生』を発表した。順風満帆な芸人人生を歩んできたように思えるが……。 「学生時代から同級生とか、いろんな人に怒られてきたんです。芸人になってからも、川島くんにネタのことや、単純に僕の常識がないことで、それはあかんで、これあかんで……と言われてきて。 もちろん、師匠や先輩たちにも怒られてきてます。今では妻に、あれやめて、これやめて、それは普通せぇへんで、常識外れてるよ……と、常に誰かに怒られてきた人生なんですよ(笑)」 麒麟が初舞台に立ったのは、プロの芸人としてデビューする少し前。多くの芸人の初舞台となるNSCの卒業公演の前に一度、田村の同級生を集めて漫才を披露したという。その舞台も田村にとっては、忘れられない土壇場のひとつ。 「やっぱり、人前でやらないと反応がわからないからということで、10人もいないぐらいだったんですけど、僕の同級生に集まってもらって、ネタを見てもらったんです。それが麒麟としての本当の初舞台。 川島は川島でいろんな緊張があったでしょうけど、僕は僕で初めて人前でやるっていうだけでもかなりやばいのに、同級生っていうのもプラスされて、めちゃくちゃ緊張しました。だから正直、なんのネタをやったかもあんまり覚えてないんです」 プロとしてデビューしてからは、ライブに出るまでも苦労が続いた。 「当時のシステムは、オーディションライブに出て、そのオーディションで通ればレギュラーの舞台に立てる、という流れだったんです。だから、そのオーディションは毎回、土壇場感がありました。そんななかで、相方はネタを書いてるのもあって、僕よりもかなり負担が大きかったと思うんです。 だから、緊張し過ぎて何も喉を通らないような状況だったみたいなんですけど、僕は“腹ごしらえをしないとネタに集中できへんな”と思って、楽屋でマクドのポテトを食べてたんですよ。 まさか、川島がご飯を食べられてないとは思ってなくて、ほかにもいろんなストレスが重なってたんだと思うんですけど、いきなり“何食ってんねん!”って100でキレられました。“ええ~、なんで? ポテト食ってるけど?”みたいな(笑)。ただ、僕もそれなりに覚悟を持ってやってたけど、相方の覚悟は想像を絶するものだったんやなって」 ◇初版8000部と聞いて「手売りしないと」 2001年に『M-1グランプリ』で決勝に進出。当時、まったくの無名だった麒麟の決勝進出は、のちに無名コンビの決勝進出が「麒麟枠」と呼ばれるようになるほどの衝撃だった。そこから田村の生い立ちに注目が集まり、徐々にメディアへの出演も急増。『ホームレス中学生』は、すっかり多忙になった日々のなかで執筆していたそうだ。 「あのときは本当に忙しかったんです。ほかの仕事もあるけど、単独ライブの準備もして……みたいな状況で本の発売が決まったんです。朝から3つ4つ仕事をやって、21時ぐらいから単独ライブに向けてのネタの打ち合わせが始まる。 だけど、僕らは二人そろってスケジュールを組むのがヘタで……。前々から準備し始めて、着々と作っていくというよりは、夏休みの宿題みたいに、直前になって大急ぎでやるみたいなところがあったので、ネタ合わせが終わるのが連日、夜中3時とかになっちゃうんです。本の執筆ができるのはそこから。体力的にも相当しんどかったですね」 そんな状況で書き上げた作品だが、田村自身は書くことへの苦手意識もあり、「あんなに売れると思ってなかった」という。さらに当時は、品川祐や千原ジュニア、劇団ひとりなど芸人の作品が話題となることも多かった。それもプレッシャーの要因の一つだったという。 「それまで、たくさん文章を読んだり、文字を書いてきた人間でもないし、コンビでネタを書く担当でもないので、文章力では誰にも勝たれへんな、と。だから、とりあえず自分なりに思いっきり書いて、魂を込めるしかないわって書きました」 結果的に『ホームレス中学生』は大ヒット作となったが、発売当時の田村は消極的だった。出版社とは、いま思えば考えられないこんなやり取りがあったそう。 「担当編集者の方に“初版は何部にするんですか?”って聞いたら、“8000部にします”って言われたんですよ。僕はそのとき、せいぜい売れても2000部ぐらいだと思っていたんで、“そんな刷ったらあかん!”と思ったんですよ。そもそも普通に考えて、1000部でも売れるってすごいことじゃないですか。 だけど、プロの方が8000部って期待してくれるなら、全国各地で手売りしてでも全部売りきらないとって覚悟を決めました。そしていざ、発売日が近づいてきたら、なぜか“初版2万部に増刷します”って(笑)。たぶん、ホームレスエピソードのバズりを見て、増刷を決めてくれたんだと思うんですけど、“何を言ってんねん、俺が手売りする分が増えるやんけ!”と思っちゃいました」 本屋に陳列されている様子を見に行ったという田村。しかし、人気のあまり、どこの本屋でもすぐに品切れになり、店頭には並んでいなかった。 「発売されたはずなのに、店頭に並んでなくて。5軒くらい回ったんですけど、どこにもなかったんです。その状況を見て、こんなタイプのドッキリがあんのか!って。ハニートラップとか落とし穴とか、ドッキリはいっぱいやってきたけど、4か月かけて執筆したものが世の中に出ないっていう、新しいタイプのドッキリなんだと思いました」