「伝説のストリッパー」を見せしめに…過激化するストリップにお灸を据えたい警察の衝撃的な「計画」
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【マンガ】「だから童貞なんだよ」決死の覚悟の告白に女子高生が放った強烈な一言 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第40回 『「そろそろ家庭に入りたい」…伝説のストリッパーが人気絶頂期に「引退」したかった衝撃の理由』より続く
線路への飛び込み
彼女は71年11月、京都の劇場で逮捕され翌72年3月に懲役5ヵ月(執行猶予3年)の判決が確定し、保護観察処分を受けた。保護観察の期間中に同じ罪で有罪となった場合、実刑は免れない。つまり、執行猶予期間の切れる75年3月までは、刑務所の塀の上を歩くことになる。内側に転落するのは簡単だ。 それにもかかわらず彼女は、テレビ番組「3時のあなた」「11PM」に相次いで出演した。彼女の人気を当て込んだテレビ局や事務所の意向に逆らえなかった面もある。 「3時のあなた」に出演した際、一条はかつて大船駅でホームから線路に飛び込んだ経験をとつとつと話した。 「疾走してくる列車めがけて飛び込んだばっかりに、急停車したショックで5人もの尊い命を犠牲にしてしまって」 一条は踊りはじめたころ、やけになって線路に飛び込んだという。彼女はところどころでこの体験を語っている。彼女の身体は線路とホームの間にすっぽりと隠れるように入り、けがもなかった。一条の姉もこのときのことを記憶しているため、飛び込みの事実は確かにあったようだ。 ただ、列車が急停車した程度で乗客5人が亡くなるはずがない。ちょっと考えればわかる嘘である。サービス精神が旺盛な彼女が話を盛り上げようとしたのだろう。真に受けた司会の山口淑子は声を震わせ、「よく助かりましたね」と応じている。