中世日本の人々は、「死骸」を「尊いもの」と考えた…? 「死骸敵対」という考え方から見えること
「敵対」とはなにか
日本の中世とはどのような時代だったのか。現代の社会のありようを考えるうえで、中世という時代を鏡としてみることは、なにかしらの意味があるかもしれません。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 ところで、現代とは大きく時間的なへだたりのあるこの時代を知るうえで非常に役に立つのが、『中世の罪と罰』という書籍です。 本書は、中世の「刑罰」に注目することによって、日本の中世社会がどのようなものであったかを鮮やかに描き出す作品。たしかに、パラパラとページをめくるだけで、当時を生きた人々の感覚について、多数の発見があります。 たとえば、勝俣鎭夫氏は本書のなかで、中世における「死骸」の位置付けについて考察しています(「死骸敵対」)。 勝俣氏はこの論考で、中世の文書にときおりあらわれる「死骸敵対」という言葉に注目します。 まず「敵対」とはなんなのか。氏によれば、それは、親や神仏など自分がしたがうべき対象との「本来あるべき関係」から逸脱してしまうことのようです。 〈仏神に対する敵対行為という形態にみられるように、この行為は、法によってその行為を限定されるような性格のものではなく、この時代の親と子、主人と従者のありかたを前提にして、そのあるべき規範を逸脱する行為と認識されたもの全体をさす言葉であった〉 さまざまな「敵対」にたいして刑罰が加えられたり、「敵対」をめぐって訴訟が起きたりしていたようです。そして、その「敵対」が「死骸」と関わるケースがあったというのです。どういうことなのか? それは、親や神仏と同様に、死骸そのものが、尊崇の対象になっていたからであるとされています。 〈……死骸が、子に対する親、従者に対する主人と同じく、ある特定の人々にその行為を強く規制する絶対的な関係にあるものとして存在したことがわかる〉
「死骸への尊崇」から生まれたもの
さらに、死骸への尊崇は、親への服従の根本にあるものと考えられるというのです。 〈この「死骸敵対」という語は、親の遺命に違犯することと深くかかわってはいるが、むしろこの遺命の絶対的効力をささえる呪術的かつ根元的なものとして存在していたといえよう〉 〈子孫などの関係者にとって、死骸そのものが尊崇の対象として存在し、その意思が彼らにとって絶対的な拘束力をもつものと意識されている〉 当時、死骸がもっていた呪術性がひしひしと伝わってきます。 さらに【つづき】「なぜ中世の日本人は「犯罪者の家を焼き払った」のか」の記事では、中世の人たちの「犯罪への感覚」をくわしく紹介していきます。
学術文庫&選書メチエ編集部