日本外交の父の前半生 複眼的な叙述で幕末明治の政治状況の躍動感みごとに捉える―辻原登『陥穽 陸奥宗光の青春』張 競による書評
◆日本外交の父 前半生を活写 陸奥宗光を主人公とする小説を書くのはちょっとした冒険である。 史実にもとづくフィクションは時代によって物語を構築する方法が異なってくる。古代の人物は伝記的事実が断片的になりがちだから、歴史の闇に消え去った声に耳を傾けるとき、文学的想像力は万華鏡のような過去の可能世界に近付く手がかりになる。 しかし、近代に取材する歴史小説はすいぶん事情が違う。自伝、日記、公文書など史料が豊富にあり、同時代の人たちの証言も数は少なくない。想像力が介入する余地がかぎられているから、小説を構想するとき、史実との整合性をいかに保つかに神経を尖らせざるをえない。 明治の志士を小説に描く場合、神話的な人物像に一匙の調味料を加えることができる。あるいは通念化した解釈に対し別の物語を示唆してもよい。しかし、陸奥宗光は明治時代の風雲児ではない。かといって、日本外交の父と称されており、その事跡は史学の領域ではかなり知られている。 陸奥宗光の前半生に焦点を当てたのは気の利いた着想だ。三部立ての第一部は伊達小二郎の名で登場する少年時代にさかのぼり、「海軍塾」一期生になるまでの日々を描く。第二部は七年ぶりの帰郷までの時期を扱い、権力への階段をまさに上り始めようとした青年期の肖像に迫った。第三部は新政府の外事局大坂代表部勤務の時代から語り起こし、特赦放免の知らせが届く場面で幕が下りる。黒船来航、尊王攘夷、明治維新から征韓論をめぐる対立や西南戦争にいたるまで、政治世界の大きなうねりが小二郎の人間成長とともに語られている。計算周到な構成である。 語りの手法にも工夫が凝らされている。明治十一年、陸奥宗光は土佐立志社系の「政府転覆計画」への加担が問われ、山形の刑務所に投獄された。物語の時間に注目すると、三部とも獄中にいるときの独白が冒頭に置かれており、第一人称の「余」の視点から語られている。それに対し、時系列に展開する少年期、青年期の物語は第三人称で描かれている。この物語技法は映画のような視覚効果をもたらし、歴史的現在と過去を交錯させることで、小説の空間を広がりと奥行きのあるものにした。 複眼的な叙述は幕末明治の入り組んだ政治状況の躍動感をみごとに捉えている。第一部では、小二郎の少年期が父親伊達宗広(むねひろ)の不遇と交錯して語られている。宗広は紀州藩の重職にあったが、権力闘争に巻き込まれ、五十一歳のときに失脚した。田辺に幽閉される身になり、妻子は「所払い」(追放刑)にされた。宗広の運命はただの伏線として語られているのではない。尊王攘夷と公武合体の対立、参勤交代制特有の国元と江戸表(おもて)との確執など、江戸末期の重層的な権力闘争を炙り出す仕掛けとして布置された。 同時代の歴史人物の描写もひと際目を引くものがある。勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛など、近代史に大きな足跡を残した人たちをただのわき役として登場させたのではない。陸奥の目で捉えなおすことで、その人物像の知られざる一面を浮かび上がらせることができた。 テレビの大河ドラマに改編するにはぴったりの作品だ。 [書き手] 張 競 1953年、中国上海生まれ。明治大学国際日本学部教授。 上海の華東師範大学を卒業、同大学助手を経て、日本留学。東京大学大学院総合文化研究科比較文化博士課程修了。國學院大学助教授、明治大学法学部教授、ハーバード大学客員研究員などを経て現職。 著書は『恋の中国文明史』(ちくま学芸文庫/第45回読売文学賞)、『近代中国と「恋愛」の発見』(岩波書店/一九九五年度サントリー学芸賞)、『中華料理の文化史』(ちくま新書)、『美女とは何か 日中美人の文化史』(角川ソフィア文庫)、『中国人の胃袋』(バジリコ)、『「情」の文化史 中国人のメンタリティー』(角川選書)、『海を越える日本文学』(ちくまプリマー新書)、『張競の日本文学診断』(五柳書院、2013)、『夢想と身体の人間博物誌: 綺想と現実の東洋』(青土社、2014)『詩文往還 戦後作家の中国体験』(日本経済新聞出版社、2014)、『時代の憂鬱 魂の幸福-文化批評というまなざし』(明石書店、2015)など多数。 [書籍情報]『陥穽 陸奥宗光の青春』 著者:辻原 登 / 出版社:日本経済新聞出版 / 発売日:2024年07月18日 / ISBN:4296120166 毎日新聞 2024年10月5日掲載
張 競