「全員で戦いながらひとつの作品を作り上げた」映画『十一人の賊軍』鞘師里保、インタビュー。初めての経験から学んだこととは?
広島出身ゆえに苦労した新潟弁
―――役作りのために新発田の方言も覚えたそうですね。 「実は最初、標準語の脚本だったんです。それを新潟弁に直すことになり、もううわぁ~!って感じでした(笑)。私は広島県出身なので、言葉の抑揚が全然違うらしく、方言指導の先生にも『違う』とよく言われました。でも何がどう違うのかわからなくて、先生に詳しく説明されてもわからないという状況で...。不安だったのですが、試写を観てくださった新潟出身の記者の方がナチュラルに話していたとおっしゃってくださったので、ほっとしました(笑)」 ―――しかも撮影はロケ中心ですよね。大変なことはありましたか? 「撮影が終わった直後は『すっごく楽しかった!』と思ったのですが、改めて振り返ると『大変だったな』と。ロケ場所が山奥で。そこにセットを組んで撮影していたのですが、道がガタガタだったので移動の車はかなり揺れて...。 でもそんな状況でも私は車中でよく寝ていました(笑)。足元が悪い場所も多かったので、1日中、ベショベショに濡れた足袋で過ごしたなんてこともありました」 ―――ずっと着物でいるのも大変ですよね。 「そうですね。その着物姿で戦いに行くシーンも多かったので、走ったり激しく動いたりするときに、洋服よりも不自由だと感じることもありました。でも逆に、当時の人たちはその格好で生活していたわけですから、その時代の人たちの日常を体感できたとも思います」 ―――本作は“賊軍”ということもあり、女性があまりいない現場だったと思います。撮影合間に共演の方たちとどのように過ごされていたのでしょうか? 「待機場所には椅子がくるりと円を描くように並べられていて、撮影の合間は皆さんそこに座っていました。でも私はウロチョロしていたので、仲野太賀さんに『好きなときに入ってきてね』と言っていただいて、そこから少しずつ共演者の皆さんと会話したりするようになりました。賊軍の中でもノロを演じた佐久本宝さんとは一緒のシーンが多かったので、よくお話ししました。 本作をきっかけに知り合った俳優さんも多く、佐久本宝さん、松浦祐也さん、岡山天音さん、白石監督やスタッフの皆さんも、私のライブツアーのファイナルを見に来てくださいました」