二十歳のとき、何をしていたか?/関 暁夫 ひねくれていた自分を、友人や先輩が引っ張り上げてくれた。思いがけず掴んだ、都市伝説という武器。
舞台監督さんが拾い上げた、あの決め台詞。
28歳で個々の活動をスタート。そこで関さんが企画したのが、昔から好きな超能力や予知などの話を披露するオカルトトークライブだった。芸人が知識や情報を話すことは、当時は珍しかったという。 「でも俺は恐怖も不可思議な現象も、〝楽しむ〟という点では同じエンターテインメントだと思っていたんです。『このロゴをひっくり返すとこうなってるんだよ』みたいに、物事が違う視点から見えた瞬間の驚きとワクワクが好きだったから」 その嗜好は、実家の寿司屋に来ていた常連さんの影響によるものらしい。 「親父はもともと銀座や各地の花街に呼ばれる腕のいい寿司職人で、店には大学の研究者とか芸能関係の方とか、幅広い層のお客さんが来ていたんです。店で宿題をしてると『学校ではこう教えてるけど本当はこういうしくみなんだぞ』って、物事を違う角度から見る方法を教えてくれた。実際に大人になって社会が見え始めると、まるで答え合わせをしているようで。ああ、嘘じゃなかったんだ、って」 手探りで始めたライブは口コミで広まり、客層も女子高生からマニアックな男性へと変遷。同じ頃、劇場の楽屋でオカルト話をしていると「お前、オモロイな」と千原ジュニアさんの目に留まった。その強い推薦を受け、2015年8月6日の『やりすぎコージー』の「芸人都市伝説」企画に出演することに。関さんが「徳川埋蔵金のありか」というトークテーマを掲げるとMCの東野幸治さんと今田耕司さんは「風呂敷を広げ過ぎでは?」と怪訝な顔をした。しかし「埋蔵金の暗号は童謡『かごめかごめ』の歌詞にある」と話したあたりでスタジオの空気が一変。客席からは悲鳴や感嘆の声があがり、視聴者に強烈なインパクトを残した。この回で〝芸人都市伝説キング〟に選ばれた関さんは、企画ごとに連続登板。〝Mr.都市伝説〟の名を授けられた。ここで冒頭の「都市伝説だと思って話したことは一度もない」の背景が明らかになる。 「〝都市伝説〟はあくまで後付けで、俺は自分の中にあった話をしているだけなんです。でもジュニアさんが引っ張ってくれなければこうはならなかったし、本当に周りの人のおかげだと思ってます」 決め台詞「信じるか信じないかはあなた次第です」にも、こんな経緯がある。 「舞台監督さんがライブで流すVTRに大きくテロップが入っていて、『何ですか?』って聞いたら、『関さんよく言ってるじゃないですか』って。全く意識してなかったけど、舞台監督さんが気づかせてくれた。そういえば、よく当時の東京支社長の横澤彪さん(『笑っていいとも!』や『オレたちひょうきん族』を手掛けた元フジテレビのプロデューサー)に、『お前はいつも最後に要らない一言を言う。そこに代わる言葉が作れたらいいのにな』って言われてたんですよ。つまり『必殺技を持て』ということですよね。それが20代の終わりにようやく見つかったんです」 高校も、成人式も、都市伝説も、誰かに引っ張り出されて、思いもよらぬ方向へ人生が転がった。関さんは振り返る。 「想像の範囲で動いていたら、きっと何も生まれなかった。想定外を楽しむことですね。今は僕のインタビューを読んでるけど、ページをめくれば未知なる出合いがある。その一瞬で、すべてが変わることがあるんですから」