「(殺したことに)後悔はないね」…5つの事件の殺人犯の〝心の闇〟を綴る『殺人の追憶』
〝やる〟〝やらない〟の境界線はぼやけていない
殺人を犯してしまった人間と、そうではない人間の〝境目〟はどこにあるのだろうか。 殺人犯だからといって、必ずしも生まれついたときから「人殺し」となる宿命を負って生まれてきたわけではないだろう。我々と同じように日々の暮らしの中で、喜んだり悲しんだりすることだってあったはずだ。 【まるでゴミ屋敷】すごい…『鳥取連続不審死』犯人の女が家族と暮らした〝汚部屋〟 それなのに、人は人を殺める。その〝心の闇〟はどのようにして生まれたのか。殺人の罪に問われることになった犯人たちの〝そのとき〟の心理に迫った『殺人の追憶 惨劇と悲劇はなぜ起きたのか犯人5人の告白を書き記す』(鉄人社)が12月25日に刊行された。著者であるノンフィクションライター・高木瑞穂氏は、同書の「はじめに」の中で次のように記している。 《私も人を殺したいと思ったことがある。思っただけではなく、怒りにまかせて思わず包丁を手にしてしまったことだってある。〝やる〟〝やらない〟の境界線はぼやけていない。そう断言する自信が持てなくなるほどの一幕だった。 でも、それでも、私は実行しなかった。なぜなら、〝やる〟前に自分のなかに染み込む〝後悔〟が先に立つからだ。》 本書では5つの殺人事件について、あるときは直接犯人の口から、またあるときは手紙、あるいは犯人に近しくその事情を知る人から語られた「告白」で構成されている。その概要を一部紹介する。 ◆川崎老人ホーム連続転落死事件 事件は’14年の11月から12月にかけて起きた。川崎市内の介護付き有料老人ホームで、高齢の男女3人が部屋のベランダから相次いで転落死した。2人目の転落死までは事故扱いしていた警察だったが、3人目の転落死が起きたことで捜査方針を一変。犯人として捜査線上に浮かんだのは同ホームの職員I(当時21)。Iは’16年2月に逮捕されると、3人の殺害について自供した。 ところが、’18年1月に開かれた初公判でIは「いずれも何もやっていません」と、証言を翻(ひるがえ)す。事件当時のことは記憶しておらず、取調官からの圧力でウソの自供をしてしまったと主張したのだ。しかし、取り調べの様子は録画されており、自白を強要された様子はなかった。自白には信用性があるとされて’18年3月死刑判決が下ることとなった。 ◆カネにもオンナにもだらしない男 高木氏がIと東京拘置所で面会したのは、’21年10月のことだ。控訴していたIが「無実を証明したい」と支援者を通じてコンタクトしてきたのだ。 この面会をきっかけに高木氏とIの書簡のやりとりが始まる。自身の生い立ちや、盗癖まで打ち明けたものの、決して〝真実〟には触れようとしないIと、真相を引き出そうとする高木氏の駆け引きは約1年半続くこととなった。最終的にIは「実は自分がやったことに間違いはないのです」と高木氏に対して犯行を打ち明けるのだった。 ◆静岡2女性殺害事件 ’10年に詐欺容疑で逮捕されたK(当時44)が、再婚相手であるAさん(当時25)を殺害し、かつて住んでいた家の物置にブルーシートに包んで遺棄していたことが発覚。その後、KはAさんと知り合う以前に不倫していたBさん(当時22)も殺害していたことが明らかになった。Kは’14年12月に死刑が確定している。 KについてAさんの長女で連れ子だった結海さん(仮名・20代前半)は「父親らしいことをしてくれた唯一の人でした」と高木氏に語っている。Kは元の妻とは離婚しておらず、Aさんとは書類を偽造しての再婚だった。カネにもオンナにもだらしない男だったといわれていた。 カネのために女性を騙すように関係を持ち、都合が悪くなると凶行に及ぶ。事件当時はまだ幼くて事情をしらなかった結海さんは、事件の詳細を知るにつれてKや母親に対する思いを変えていった。 ◆「ラーメンばかり食べてちゃいけんよ」 ◆鳥取連続不審死事件 鳥取市内のスナックでホステスをしていたUの周囲で6人の男性が不審な死を遂げたことで世間を騒がせた事件。このうち、’09年4月に鳥取県北栄町沿いの日本海でトラック運転手の男性(当時47)が、同年10月に鳥取市内の摩尼川で電気工事業の男性(当時57)がいずれも水死体で発見された事件で、Uは’17年7月に最高裁で死刑判決を下された。 高木氏がU(当時43)に島根・松江刑務所で面会したのは最高裁の判決が出る2ヵ月前。146㎝と小柄なUは「私、強い女ではないので」と吐露したという。本書では「本当の自分を知ってほしい」と彼女が高木氏に託した7000字にわたる手記が掲載されている。 最高裁判決で死刑が確定した最後の面会で、去り際に「(仕事で)夜遅いからってラーメンばかり食べちゃいけんよ」と声をかけてくれたUは、’23年1月14日に収容されていた広島拘置所で食べ物をのどに詰まらせて亡くなっている。 ◆秋田9歳女児虐待殺害事件 ’16年6月、秋田県秋田市内のアパートで母親のC子(当時40)が、養護施設から一時帰宅していた娘の美咲さん(当時9)の首を絞めて殺害し、自身も包丁で自殺を図った事件。C子は精神病を患い、生活保護を受けていた。美咲ちゃんを施設に預けていたのはC子が育児放棄をしていたからだ。それでも、美咲さんは母親に“久しぶりに会える”と喜び勇んで帰って行ったという。 C子がなぜ美咲ちゃんを殺し、自らも命を絶とうとしたのかは裁判でも明らかになっていない。だが、その凶行が、神託や預言、神の言葉を受け取るための「オラクルカード」によって決められたことはわかっている。 ◆姉に通報してもらって 「私はずっと思っていたんです。いつかこうなるんじゃないかと思ってたんです」と話すのは、C子の元夫で美咲ちゃんの実父であるXさん(51)だ。’02年に6年の交際を経て結婚したXさんとC子だが、彼女の精神の不安定な傾向は結婚前から出ていたという。Xさんは後悔の念と、そして亡き愛娘とC子への思いを語った。 ◆千葉老老介護殺人事件 「(殺したことに後悔は)ないね。でも、一人きりになったから寂しいよね」 ’15年7月に妻・D子さん(当時73)をタオルで絞殺したOの言葉だ。彼は罪の意識はあっても後悔はない、と高木氏に語ったという。 50年間連れ添い、千葉県船橋市で共にクリーニング店を営んでいたO夫婦だったが、D子さんが10年ほど前にアルツハイマーを発症。その介護の果ての凶行だった。Oは姉に通報してもらって、その場で警察に連行された。Oは「意思疎通も困難になった妻を介護する負担があった」として執行猶予つきの判決を受けている。 Oが語った妻との思い出、そして彼女が少しずつ失われていく介護の日々は「介護疲れ」による殺人が増えていく現代で、けっして他人事とは感じられない。そして「凶行に至ってしまった瞬間」も、絶対に自分の身に訪れることはないとは言い難いものだった。 殺人事件をめぐる5人の証言からわかること。それは〝やる〟〝やらない〟の境界線はぼやけていることもある、ということなのかもしれない。 ※書籍では犯人・死刑囚については実名で表記されていますが、編集部判断によりイニシャル表記にしています。 『殺人の追憶 惨劇と悲劇はなぜ起きたのか犯人5人の告白を書き記す』(高木瑞穂・著/鉄人社)
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