「モテたいだろ、お前ら」箱根駅伝を逃した原晋と青学大“最後のチャンス”…学連選抜の奇跡はなぜ起きた? 教え子の証言「監督もあの時だけは…」
原晋監督のもと、2025年の箱根駅伝で8度目の総合優勝を果たした青山学院大学。そんな青学大にも、箱根駅伝の出場権にさえ手が届かない黎明期が確かに存在した。2004年に入学した“原チルドレン1期生”の横田竜一さんが語る、当時の青学大のリアルとは。第2回は、原監督に率いられ、横田さんがアンカーを務めた関東学連選抜チームの“奇跡”のウラ側に迫った。(NumberWebインタビュー全3回の2回目/#1、#3へ) 【写真】「眼光鋭い…!」15年前、42歳の原晋監督と57歳の現在を写真で比較。横田さんがアンカー「伝説の学連選抜」の貴重写真や青学大“とにかく明るい今季の4年生たち”も一気に見る(全45枚)
「法政に負けたんじゃなくて、金丸に負けたんです」
9枠の出場権を賭けた予選会で、青学大は9位。だが、当時存在した関東インカレポイントを加味した結果、10位の法政大と順位が入れ替わり、惜しくも本戦出場を逃すこととなった。ちなみに関東インカレポイントとは、関東学生陸上競技対校選手権(関東インカレ)の各種目成績などをポイント換算したもので、部員数が多い伝統校に比較的有利と言えるシステムだった。 横田さんはこの時の悔しさをまだ鮮明に覚えていた。 「僕ら、法政に負けたんじゃなくて、法政の金丸(祐三・スタート前の「金丸ダンス」で有名な短距離の元日本代表)に負けたんです。彼があの年の関カレで大活躍して……。駅伝以外の陸上競技にも力を入れてくださいっていう、関東学連の言いたいこともわかるけど、やっぱり複雑な気持ちでしたね」
残されたチャンスは「関東学連選抜」だった
しかし、陸上の神様はまだ青学大を見捨てていなかった。この年、関東学連選抜チームが編成されると、そのチームの監督に次点の大学から原監督が選ばれた。自校の襷をつなぐわけではないが、ついに箱根駅伝の舞台に立つチャンスが訪れたのだ。横田さんたち予選会で活躍した部員にもまだ出場のチャンスが残されていた。 学連選抜チームの16名は、予選敗退校の中から成績が良かった者順に選ばれる。横田さんのタイムはチーム2番目で、16名の中にも入っていた。当時はまだ、各大学1名までというルールはなく、選手選考の権限は監督に委ねられていた。 選抜チームが初めて顔を合わせたのは、2007年11月10日の練習会。そこで、“原節”が冴え渡った。 「食事の前にミーティングがあって、まずはチームの目標を決めなさいって。グループもいくつかに分けて、チーム名もそれぞれ考えろって言ったのかな。こうやって自分たちで目標を決めることは僕と先崎(祐也・予選会でチームトップ)にとっては日常でしたが、他の大学の選手にとっては新鮮だったんじゃないですかね。話し合えば距離も縮まるし、僕はこういうキャラクターなので冗談ばっかり言って、すぐにメールをやりとりする仲になりました。この話し合いで距離がグッと縮まりましたね」
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