道上洋三アナの心に残る言葉「遠くの親せきより近くのラジオやねえ」 ── 阪神淡路大震災から20年
いつものラジオがあるからこそ、災害の時のラジオ
震災発生から1か月くらいたったとき、北淡町(現・淡路市)へ取材に行った同局のテレビクルーが、80歳の女性に声をかけられた。女性はクルーに「道上さんは命の恩人や」と言った。聞けばその女性、自宅が倒壊してがれきに閉じ込められていたという。昼になっても閉じ込められたままだったが、到着した救助隊が女性に気づいて救助した。救助隊員が気づいた理由は「ラジオの音」が聴こえたことだった。 女性は、おはパソを聴くのが日課。震災当日も6時半からの放送を楽しみに、いつもと変わらず早くからラジオをつけていたという。女性の子どもは東京・愛知にいた。そんな女性がテレビクルーに道上アナへの伝言を頼んだ「遠くの親せきより、近くのラジオやねえ」 道上アナは「この女性の言葉を、すぐに筆で半紙に書いてスタジオに張って放送しました。何をやってもうまくいかなかった時に聞いたこの言葉。ほんまにうれしくて」。よく震災関係のシンポジウムなどに行くと「いざという時、災害の時はラジオ」という言葉を耳にするという。だが「それは違う」と道上アナは強い口調で言う。そして「いつものラジオがあるからこそ、災害の時のラジオなんです」と訴える。
仮設住宅で「六甲おろし」1人の男性の心動かす
そして、この時期は毎日のように積極的に被災地へ。「炊き出し」という名のボランティア活動へ行くためだ。行く先々で「あんたの声を聴いてるで」「カーラジオで道上さんの声を聴いてホッとする」といった声もかけられた。 また「自宅が復旧して、道上さんの声が聴こえて、いつもの暮らしが戻ってきた」という声も。「いつも暮らしの中にラジオを置いてもらっていたんですね。生活の中に『ご飯とみそ汁とラジオ』があるということが、骨身にしみて分かった」と当時を振り返る。 神戸市北区星和台の仮設住宅へ行った時、被災者のリスナーからそこで困っていることなど、いろんな話しを聞いていた。そこで、ある1人の男性が「六甲おろし歌え」と言ってきた。道上アナの六甲おろしといえば、阪神タイガースが勝利した翌朝に番組内で歌うのが名物。しかし、この雰囲気でそれは歌えないと「今度放送で歌います」と返した。 すると、男性は「せっかく来たのに歌わんとは『詐欺』みたいなもんや」と言われた。それを聞いた道上アナ、男性のそのリクエストに答え歌った。すると自然と多くの観客から手拍子が鳴った。その男性は「2番、3番うたえー」と言ってきたため、結局はフルで歌い、仮設住宅の会場はその瞬間、とても明るい雰囲気に包まれた。 それから1か月後。その仮設住宅のある自治会長から番組宛にファクスが届いた。それによると、リクエストをしてきた男性は、仮設住宅に来た時から酒を飲んでは奥さんに暴行をはたらくなど問題になっていたという。聞けば、大工だったが自分の建てた家が3軒くらい倒壊。腕の良い大工にとって、それはショックなできごとで、そのような行動をとっていたらしい。 だが、その「六甲おろし」が披露された翌日、男性は自治会長に「仕事を紹介してくれへんか」と申し出てきたという。「その男性はなにか『きっかけ』がほしかったと思う。この『六甲おろし』がきっかけになったかはわからないが、3番まで歌ったことが何かのきっかけになったのなら、それはありがたいことですね」。その報告ファクスを見た時は「心の底からほんまにうれしかった」と目を細めた。