「日本人が連想するのはやっぱりヤンキースとドジャース」1978年ワールドシリーズをなぜフジテレビが中継したのか? 実況・岩佐徹が振り返る名勝負
スマホやタブレットではなく、BSでもCSでもなく、地上波で、MLBを視聴できた時代があったのだ。しかも、ゴールデンタイムに! 当時の実況を担当した名アナウンサーに、古き良きあの頃を訊ねた。 発売中のNumber1105号に掲載の[全米待望のカード]ヤンキースvs.ドジャース「あの名勝負をもう一度」より内容を一部抜粋してお届けします。 【変わりすぎ写真】「ガリガリだったエンゼルス時代」→「大谷のう、腕が…“まるでハルク”」&“テレビに映らない”大谷翔平…ナンバー撮影の現地最新カットで一気に見る 1978年のドジャース対ヤンキースのワールドシリーズは、私にとって「アメリカの窓」だった。このシリーズが日本の地上波で見られたのは、この年からフジテレビが週2回、「大リーグ中継」を始めたからだった。その実況を担当したのがアナウンサーの岩佐徹さんだった。 「'78年から'81年まで、ワールドシリーズを現地で実況しました。当時の日本人が大リーグと聞いて連想するのは、やっぱりヤンキースとドジャースでしたから、この2球団の対決となった時は胸が躍りました」 岩佐さんの実況では、日本の中継では耳慣れない単語が飛び交った。「ウォーニング・トラック」(外野フェンス前のアンツーカー)「スタンダップ・ダブル」(滑り込む必要のない余裕の二塁打)。小学校5年生だった私にとっては新鮮で、いつかアメリカで野球が見られたらいいな、と淡い夢を抱くようになった。
ヤンキースの際立つ個性、ドジャースの家族的な温かさ
'78年春、基本日曜の昼と月曜の夜の2枠で放送が始まった大リーグ中継には、様々な「経緯」が絡んでいた。 「あの時代のフジテレビが放映権を持っていたのは、ヤクルトと大洋(現・横浜DeNA)の主催試合だけで、夏場になると日本テレビの巨人戦中継にやられっぱなしでした。そこで、今でいうコンテンツはないかということで、大リーグに着目したわけです。当初、月曜日は1時間半しか枠がなく、放送内容は試合のダイジェスト。ところが、月曜9時のドラマで主演していた勝新太郎が、5月にアヘンとその吸煙器を処分するように頼んだ疑いで書類送検されます。ドラマは打ち切りになり、そのおかげで大リーグの枠が2時間に延びました(笑)」 岩佐さんは実況準備のため、日本にいる時は在日米軍が発行する新聞を印刷所まで行って買い求め、渡米すれば各地で地元紙を買い、情報収集に努めた。 「当時、私ほどアメリカの新聞を読み漁った人間はいなかったと思います。その自負がありました。そしてドジャースとヤンキース、両軍のチームカラーの違いは現場に行けばすぐに分かりました。まず、オーナーからして違います。ヤンキースのジョージ・スタインブレナーは造船王として富を築いたワンマンオーナー。監督は喧嘩屋の異名を取ったビリー・マーティン、主砲にレジー・ジャクソンがいて、際立った個性が衝突する。緊張感がありました」 ドジャースのカラーは対照的だった。 「温かかったですね。ドジャースはオマリー家がオーナーで、2代目のピーター・オマリーの時代。温厚な人物で、選手だけでなく、球団スタッフ、そして放送関係者も含めて『ドジャー・ファミリー』として大切にしていました。監督は陽気なトミー・ラソーダです。彼は選手としての実績はさほどありませんでしたが、たたき上げで監督となり、『俺の体の中にはドジャーブルーの血が流れている』という有名な言葉を残したように、球団への忠誠心には並々ならぬものがありました」 対照的なカラーを持ちながらも、名だたるオーナーに有名監督、正真正銘のスターが両軍には揃っていた。 「現在の両軍にも魅力的な選手がいますが、当時はキャラクターがもっと濃かった気がします。監督のマーティンは'78年のシーズン途中にオーナーと4番のジャクソンを批判して辞任に追い込まれます。後任には温厚なボブ・レモンが就任して、レッドソックスとの14ゲーム差をひっくり返してシリーズに駒を進めました。 そしてドジャースの方もスター揃い。打順をみんなそらんじることができたほどで、1番ロープス('00年から'02年までブリュワーズ監督)、2番ラッセル('96年から'98年までドジャース監督)、3番スミス('83、'84年に巨人でプレー)、4番ガービー(今年11月の上院選に出馬中)、5番セイ、6番ベーカー(アストロズの監督として'22年ワールドシリーズ優勝)……。そうそうたる顔ぶれです」 投手陣では、ドジャースの第1戦の先発投手は左腕のトミー・ジョンだった。あの「トミー・ジョン手術」の本人である。
(「NumberPREMIER Ex」生島淳 = 文)
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