【黒柳徹子】好きな詩と聞かれて真っ先に頭に浮かぶ、アメリカの女流詩人、エミリー・ディキンソンさん
黒柳徹子さんがニューヨークに留学しているときに出会った年も近いし、アメリカを代表する詩人についてお話しします。 〈画像〉黒柳徹子が出会った美しい人 「エミリー・ディキンソンさん」
私が出会った美しい人【第24回】詩人 エミリー・ディキンソンさん
みなさんに、好きな詩はありますか? 私は仕事柄、「どんな作家が好きですか?」とか、「これまでどんな本に感銘を受けましたか?」なんていうことを聞かれることが多いのですが、もしそれが「詩人」限定なら、真っ先にエミリー・ディキンソンの名前を挙げます。 エミリー・ディキンソンは、今から200年近く前、1830年にアメリカのマサチューセッツ州に生まれ、55歳で生涯を閉じたアメリカの女流詩人です。厳格な家庭に生まれ育ち、とても多感な少女だったみたい。とても不思議な生き方をした人で、生涯で街から出たのはたったの数回。親しい人たちの死に直面したりする中で、しまいには、家から外にも出なくなってしまいます。でもそれは今でいう「引きこもり」というのではなく、部屋の中で、草花や虫の気持ちになって詩を書いたり、親しい人への手紙を書いたりしていたのでした。 彼女が生涯に書いた詩は1775篇にものぼりますが、その中には恋しい人のことをたくさん書いています。でも、その人に会ったのは生涯でたった2回……。その恋しい人を待つ気持ちを表した詩に、「必ず来るとわかっているものを待つことは、一生でも短い。来るか来ないかわからないものを待つことは、一秒でも長い」というのがあって、私はその詩がとても好きです。でもエミリーは一生独身で、いつも花嫁のように白いお洋服を着ていました。 生前は、新聞なんかに10篇ぐらいの詩が紹介されただけ。でも、死後発表された詩集が、20世紀になって高く評価されました。真の芸術家にはよくあることですが、生きづらさをキャッチする感性が、「早すぎた」ということなんでしょう。 私が彼女の詩に出合ったのは、ニューヨークに留学しているときでした。私がニューヨークに渡った理由の一つは、音楽大学を卒業してすぐテレビの世界に入って、休むことなく仕事をしていたとき、「今まで無我夢中で走り続けてきたけれど、電車が引き込み線に入るように、少し、止まってみることも必要かもしれない」と考えたからです。留学のきっかけを作ってくださったのは、ブロードウェイで活躍する演出家とその奥様で、留学中も、よくそのご夫婦からいろんなパーティや会合に誘っていただきました。 そういう場所に集まるのは、演劇人だけではなく、作家やアーティストなども多かったので、自然に、自分が面白いと思った本や芝居や映画なんかをテーマにした話が中心になります。その作品を知らなかったら、「観たらいいよ!」と薦めてくれるし、集まる人たちがみんな目利きで、先生みたい。そんな人たちの中でも、エミリー・ディキンソンは、アメリカを代表する詩人として、誰もがその作品の価値を認めていました。