イラク緊迫 オバマ政権の「イラク出口政策」は危機的状況に
イラク情勢が非常に緊迫しています。イスラム教スンニ派の過激派組織「ISIS」の勢力拡大で、オバマ政権が想定していたイラク問題の出口戦略のシナリオが大きく揺れています。 【図解】イラクのイスラム教宗派対立
ブッシュ大統領時代の出口戦略
いうまでもなく、現在の問題は2003年のイラク戦争を契機としたアメリカの介入によって始まっています。イラク戦争開戦から4年間、12万~15万人規模の米軍がイラクに駐留を続けてきました。占領軍はイラクを民主化するために、イラク軍を解体し、フセイン大統領の支持基盤だったのバース党の党員を公職から追放しましたが、逆に失業者が増え、治安が悪化します。「民主化すればイラクは良くなり、いずれは占領軍は撤退できる」という当初の出口戦略は「絵にかいた餅」にすぎませんでした。 占領政策はうまくいかず、治安回復の見込みが立たないため、当時のブッシュ大統領は07年に増派を決め、一時駐留米軍は17万人規模に膨らみました。増派についてはアメリカ国内では異論もありましたが、首都バグダッドやスンニ派反米武装勢力の拠点である首都西方のアンバル州の治安回復などもあり、アルカイダ勢力は一時的に弱体化しました。
オバマ大統領が思い描いた出口戦略
その段階で発足したのがオバマ政権です。オバマ大統領はブッシュ前政権の単独主義外交を強く否定し、その象徴であるイラクからの撤退はオバマ外交の最重要課題の一つでした。そもそも、イラクからの撤退はオバマにとっては2008年大統領選挙戦略の切り札の一つでした。同年の大統領選では、「イラク戦争反対を表明していた唯一の有力候補」として、自己PRに全面的に使い、厭戦気分が高まっていたアメリカ国民の心を捕らえました。 大統領就任後、オバマは、アルカイダとの戦いの「主戦場」と位置づけるアフガニスタンに米軍をシフトさせるという大きな方針を掲げます。同時にイラクの都市部から戦闘部隊を撤収、郊外の基地に再配置するとともに、「2010年8月末までにイラク駐留の主力部隊の撤退を開始し、2011年末までにイラクから完全撤退する」という出口政策のシナリオを打ちたてます。実際、このシナリオ通りにイラクからの撤退が進んでいきました。2011年末というイラク撤退日程は、12年選挙でのオバマ自身再選を後押しする “手柄”の一つにしようという狙いもありました。