なぜ8度目防衛に成功したWBC王者の寺地拳四朗は恒例のWピースサインを封印して号泣したのか?
「ステップでテンポを上げると自分のスピードに体がついていかず体が浮く。足の指で地面をつかむイメージでより体を沈めることが大事。沈むとバックステップがしやすくなりより攻守の切り替えが早くなるしパンチも強くなる。井上選手の打ち方がそう。沈んでしっかりと打っている」 拳四朗が、この日、見せたのは、まさにその新しいスタイルだった。 久田も邪魔な左ジャブになんとか右フックを合わせ、形勢を逆転しようと前に出て追いかけたが、拳四朗が真っすぐ下がらずにサークリングを使いながら下がるのでロープに詰めることができない。伸びるような右ストレートが何発か当たったが、どれも浅い。拳四朗陣営は、久田のこの追い方を想定した上で、スパーでシミュレーションしていたという。最後の最後まで拳四朗は、左ジャブでリードしながらリングで華麗なステップを踏み続けた。終わってみれば、4ラウンドまで互角と見ていた2人のジャッジも、5ラウンド以降は、拳四朗にフルマークである。 「流れ的には悪くはなかったが、思っていた通りに久田選手が前に出てきて、しんどい展開になった。久田選手は強かった。倒せそうなパンチもあったが、効いている感じはなく、こっちが押された場面もあった、効いたパンチはなかったがヒヤヒヤした」 挑戦者をリスペクトした拳四朗は、リング上で久田に近寄り「色々とご迷惑をおかけてしてすみませんでした」と直接謝罪した。 敗者の控室で代表取材に応じた久田は引退を表明した。 「今できることはすべてやり切った。それで負けたので悔いはない。引退します」 36歳。プロ47戦目の晴れ舞台で華々しく散った。 「相手の技術がうまかったという印象。やられました。でも最後まであきらめないのが僕の信条。それは全うできたかなと」 昨年12月に2度目の世界戦を見ることなく、この世を去ったジムの先代の原田実雄会長にベルトを届けることができなかったことを悔いた久田もまた涙を流した。 「歴史を変える試合にしたかったが、今日は僕に風は吹いていなかった。負けて泣くのはダサい。勝って泣きたかった」 久田の引退表明を聞かされた拳四朗は、「迷惑かけてばっかりだったんで。ほんとに強い選手だった。引退っていうのはいろいろ悩んで決めたんでしょうが、そのぶん、僕がどんどん防衛を続けていけたら…」と神妙な表情で答えた。 久田の思いも背負って戦い続ける拳四朗の目標は2つある。残り5回に迫った具志堅用高氏が持つ13度防衛の世界王座連続防衛の日本記録更新とベルトの統一である。 「連続防衛記録?もちろんです。それと他団体を全部とる予定なんで。全部揃えないと2つとってもあんまり意味がない。やりたい相手?特にないですよ。全員とやらないと」 WBA世界同級スーパー王者の京口紘人は米国での防衛戦に成功、WBO同級王者のエルウィン・ソト(メキシコ)は、5月8日に米国で元ミニマム級の世界主要4団体王者、高山勝成の挑戦を受ける。身近なところにライバルはいるが、拳四朗は、あえて個人名は出さなかった。 8度防衛王者のプライドだろう。 ただ新型コロナ禍の影響で今後の防衛計画は不透明だ。 29歳の拳四朗にとって残された時間はそう多くない。寺地会長も、「まずは10回防衛。減量途中には声が変わるほど減量もきつくなっている」と13度更新に向けて不安要素があることを明らかにした。だが、拳四朗の考えは「負けなかったらやれますよ」である。 最後に。 2月のある日…。東京のJR駒込駅前周辺のゴミ拾いのボランティアに付き合った。マスクをした拳四朗は、それとも知られず約2時間、黙々とトングを持ってゴミを拾った。不祥事のペナルティとしてJBCから6か月以内に48時間以上200時間以内の社会貢献活動を行うことを命じられた拳四朗は、連日、様々なボランティア活動に真剣に取り組んでいた。 タバコの吸い柄をビニール袋に入れながら拳四朗が言った。 「チヤホヤされ、どこかで勘違いしていたのかもしれません。でも、誰かに喜んでもらえることが人として気持ちがよくなることに気づかせてくれた。新しい気持ちになれた。なんかね。いい人になれた気がするんですよ」 新しい価値観を身につけ人として強くなった王者と、激闘を胸に新しい道へと踏み出す挑戦者。それぞれの人生が緊急事態宣言前夜のエディオンアリーナ大阪で交錯したのである。