人は怖い・グロいにひかれる 変化求める現代人には絶叫ビジネスはまる
なぜ人は怖さや汚さ、グロさに引かれるのか
「ハロウィーン」「お化け屋敷」「ホラー映画」「イカゲーム」「ばいきんまん」……。これらに共通するものは何でしょうか? 怖さ? グロさ? 汚さ? いずれも正解です。どれもネガティブな要素にもかかわらず、人気があるのも共通点。さらにビジネスとしても成功しているものばかりです。 なぜ人は怖さや汚さ、グロさに引かれるのか。哲学的に考えてみたいと思います。 例えば、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユは、醜悪な馬の図像や不気味な挿絵、あるいは骸骨寺(サンタ・マリア・デッラ・コンチェッチオーネ)の地下納骨堂といった怖くてグロテスクなものを「聖なるもの」と呼び、そこに畏怖だけでなく魅力を見いだしていました。それらが異質だからでしょう。 確かに人は、「普通とは異なる」というだけで興味を引かれるのかもしれません。怖いもの見たさの根底にあるのは、日常に対する倦怠(けんたい)感、あるいはより積極的に刺激を求める気持ちの表れなのでしょう。 だからといって、決して日常を否定したいわけではないと思います。お化け屋敷に行ったり、ホラー映画を見たりしても、それが日常になることを望む人はいないでしょう。むしろそれは、平凡な日常を生きざるを得ない人間が現実を十分受け入れながらも示すつかの間の抵抗なのです。
悪役キャラ人気は秩序への抵抗
そうした秩序への抵抗を、仮面をかぶったり仮装したりして楽しむ「カーニバル」という祭りの精神に見いだしたのがロシアの哲学者ミハイル・バフチンです。普段の自分とは異なる格好をして騒ぐことで、憂さを晴らせるからです。ハロウィーンにも同様の要素があるように思います。 このカーニバルに見られる精神性から、彼は「グロテスク・リアリズム」という名の美的概念を導き出しました。グロテスク・リアリズムとは物質や肉体が持つ現実に目を向け、その力を肯定しようとする立場だといっていいでしょう。そしてそれに基づいて体の捉え方を変えることを提案しています。人間本来の肉体の形及びその生成変化に着目しようというのです。人間は決してフラットな形をしているわけでもなく、変化することない完璧な存在でもありません。 具体的には、この発想はファッションに応用されてきました。凸凹でリアルな肉体を強調するばかりに、どうしてもグロテスクなデザインになるのですが、それが既存のファッションに対する問題提起となっているわけです。有名なのは、ウエストを絞ったシャープな形ではなく、あえてお腹のところを膨らませたり、丸みを持たせたりしたようなファッションです。 実際、こうした問題提起のおかげで、文化は更新されていきます。そのことを明確に論じているのが、穢(けが)れをテーマにした英国の思想家メアリ・ダグラスです。彼女によると、穢れとは分類体系にうまく当てはまらないもののことを指します。つまり、社会秩序の中の適切な場所に位置付けることができないものを穢れと呼ぶのです。 しかしそれゆえに、穢れには秩序を更新する潜在的な力があると主張します。穢れというと分かりにくいかもしれませんが、ダグラスは汚れについても同じことがいえるとしています。外で遊ぶときは、汚れることを気にしていては楽しめません。泥まみれになることを覚悟した瞬間から、遊びは急に楽しくなるものです。 意外にも多くの子どもたちが、『アンパンマン』に登場する悪役キャラ、ばいきんまんに共感を持つのは、そうした理由からではないでしょうか。何といっても彼は、きれいなものを汚すのが大好きですから。きれいにする、お行儀良くすることがいいと分かっているものの、それを覆してくれるあのキャラクターにある種のカタルシスを覚えるのかもしれません。