“イチモツ”を元気にするために旅へ…江戸・日本橋を舞台とした、女の愛憎渦巻くヤバすぎる「時代小説」
日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。 その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。 『時代小説で旅する東海道五十三次』連載第1回
ふりだし 江戸・日本橋
『本朝金瓶梅 お伊勢篇』(林真理子) ☆宿場歩きガイド 豊臣秀吉から関東の地を与えられた徳川家康は、江戸に城下町を整備するにあたって、普請の資材を隅田川から江戸城へと運ぶ水路を延伸させた。この水路を南北に渡る橋として架けられたのが日本橋である。この水路整備が、のちのち日本橋を隆盛に導く原動力となった。 日本橋は、五街道すべての起点である。橋の中央に、日本国道路元標のプレートが埋め込まれている。東海道が整えられた翌々年の慶長8(1603)年、全国の大名を動員して架けられたのが日本橋。以来、何度となく焼失と修復を繰り返し、現在の橋は明治44(1911)年に架橋が成った。このときに、木造から石橋に生まれ変わった。 五街道の起点とされたことで、日本橋は川と道の結節点となったのであり、将来の発展は約束されたに等しい。 五街道の制定によって全国からヒト、モノ、カネが集まり、一帯は殷賑きわめた。さらに、舟運によって運ばれてきた荷を陸揚げする河岸が設けられると、各種の問屋、貨幣の鋳造を行う金座が設けられ、日本橋は江戸経済の中心地へと変貌した。いわば、江戸のウォール・ストリートといった趣だった。
開発の絶えない町
江戸屈指の商業地だった日本橋は、今につづく老舗が軒を並べていた。三越の前身である呉服商「越後屋」、寝具を扱った「日本橋西川」、「山本海苔店」……。そして、現在。日本橋室町一丁目の東部に集中する老舗に加えて、ファショナブルなビルが陸続としてお目見えする。 2000年代に入ると、日本橋一帯は大規模再開発がつづいた。東急百貨店日本橋店(旧白木屋本店)の跡地に誕生した「コレド日本橋」がその代表格。「コレド」は、CORE(中心・核)とEDO(江戸)とを組み合わせた造語、つまり江戸の中心の意だ。 さらに、平成26(2014)年春、地下鉄三越前駅付近に「コレド室町」の一、二、三号館も開業。賃貸オフィス、飲食店などのテナントが入居する。室町に事務所を構える旧知の税理士は、「江戸の香りを伝える老舗と、流行の最先端をゆく店舗の両方を楽しめる街」と満足げだ。 が、日本橋の街は、弱みも抱える。首都高速道路が覆いかぶさっていて圧迫感を感じる点だ。首都高速の移設を含め、水辺空間を活かした町づくりをしようとの意識がたかまりつつある。日本橋川や神田川をクルーズする水上バスも運航されている。昔日のごとく、日本橋川をたくさんの船が往来するようになれば、さぞや楽しかろう。