「無理を言わない志村さんが唯一頼んできたことは…」 志村けんが毎年訪れた福井の温泉宿、女将が明かす飾らない素顔
来年は「昭和100年」。その節目を記念して、時代を彩ったスターたちと温泉をテーマにした一冊『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)が刊行された。著者である山崎まゆみさんが、宿の主人や女将(おかみ)たちから聞いた秘話を厳選。志村けんが毎年訪れていたという福井県の温泉宿とは――。【山崎まゆみ/温泉エッセイスト】 【写真を見る】志村さんと“最後に愛した女性”のキス写真 ***
あわら温泉「光風湯圃(こうふうゆでん) べにや」(福井県)
はにかみながら旅館に入ってくる志村けん。その姿は決して目立つことはなかった。20年にもわたり、毎年訪れていたのは福井県あわら温泉「べにや」だ。 最初に来たのは、平成12(2000)年ごろ。福井県在住の知人に連れられて来た。翌年から、毎年1月3日か4日にやってきては、3~4泊滞在したという。到着すると、いつもの「呉竹」の部屋に入った。 「ご到着前に浴衣数枚と丹前、バスタオルなどを一通りご用意しました。志村さんがお好きな焼酎に、福井が誇る酒蔵『黒龍』の石田屋、二左衛門、そしてグラス、氷もお部屋のテーブルにご用意しました」 と語るのは、女将の奥村智代さんである。
仕事について率直な意見を求めた志村
日中は酒を飲み、温泉に入ることを繰り返し、多くの時間を部屋で過ごしたが、夕方になると、不精ひげを生やしたまま浴衣と丹前で温泉街へ散歩に出かけた。 「志村さんはお戻りになると、にこにこしながら『気付かれなかったよ』『二度見されたけど、誰も声をかけてこねぇよ~』なんておっしゃりながら、あわらの人たちの反応を楽しんでいました」(同) 「べにや」は客室で食事を取る。志村の部屋の係は、ベテランの仲居・あい子さんだった。 名物の越前ガニを彼女が用意している間、彼は酒を片手に、自身が出演するTV番組を観ながら、 「この放送ね、こう流れたけど、もっとこう編集した方がよかったかな」 と、自分の仕事について率直な意見を求めた。志村は、四六時中仕事のことを考えていたのだ。
混みあう年末年始を避ける気遣い
ただ「べにや」では、子ども好きの一面を見せた。 「うちの子どもたちをかわいがってくださいました」 と、女将が見せてくれた写真には、志村と子どもたちがじゃれあう姿がある。 「うちの4人の子どもにお年玉を下さいました。名前を入れたぽち袋まで用意してくださったんですよ。子どもたちも大喜びです」 女将は、志村の人柄を語り続ける。 「志村さんはご自分のことはご自身でやられましたが、仮に私に何かを頼まれたとしても、『俺のことを先にやって』とおっしゃる方ではありませんでした」 混みあう年末年始ではなく、少し落ち着く1月3日か4日に来ることにも、気遣いが表れている。 女将はこうも言う。 「うちでお正月を過ごすことを恒例としているお客様に割って入り、予約されることはありませんでした」