ハーモニー・コリンが語る「新しい映画作り」――映画とゲームの融合、そしてテクノロジーによる表現の実験
――「AGGRO DR1FT」には脚本がないのだとか。
コリン:そう、脚本はもう使ってないからね。というか、ずっと前からそれを目指していたんだ。「AGGRO DR1FT」では基本的に場面のドローイングを描いた。撮影現場で瞬間的に場面を描いては役者たちに伝え、それを基にまた場面を描く。コンセプトに基づいて、フリースタイルで映画を作ってるんだ。というのも、僕は脚本家として映画の道に入ったわけだけど、少しずつ脚本に対する興味を失っていてね。
――脚本がないのであれば、映画の完成はどのように判断するのでしょう?
コリン:これでいい、と思える時が来るんだ。絵に近いかもしれないね。作品を作っていると、全部出し切った気がする瞬間があるんだ。そこに至れば、自然と分かる。言葉で表そうとすると難しいんだけどさ。
――「AGGRO DR1FT」は映画館ではない(ライブハウスなどの)ベニューを巡業していますが、それはなぜでしょう?
コリン:映画館で上映するのがしっくりこなかったんだ。「AGGRO DR1FT」が映画だという確証もなかったし。それで感覚的な体験にしたいと思ってね。映画を観ながら音楽を聴き、TikTokを観る、それが今の生活なんじゃないかな。
全てのまばたきは編集である
――ゲーム以外にも、TikTokで短いクリップを見るのにハマっているそうですね。
コリン:そう。脳が腐る感じもするし、毒みたいなものもたくさんある。でも大好きなんだ。XやYouTubeのリールやインスタグラムで見るものは、僕の作った映画を超えてるよ。例えば、砂の中から3本足の男がはい出てくる動画があるんだけど、この前もそれがどうして存在するのか、一日中考えていたよ。文脈がないっていうのがミソなんだろうね。誰が考えたのか、どうやって存在しているのか、本物なのかそうでないのか……それが分からないからこそ、たまらなく面白いんだ。
――特に好きなクリップはありますか?