西日本豪雨から6年…被災した男性が語る復興への道のり 野村町に息づく「忘れず」「立ち向かう」思い【愛媛発】
西日本豪雨から6年。ダムの緊急放流後に肱川が氾濫し、6人の尊い命が失われた愛媛・西予市野村町では、まちの復興計画が進められている。災害を「忘れず」「立ち向かう」。野村で生きる人々が新たな町作りにこめた思いを取材した。 【画像】泥水が…被災直後の店舗の様子
災害の記憶と再建への歩み
2018年7月7日。その日の出来事を「その日は土曜日で、店の準備をしていたら、向かいの店舗のご主人と奥さんがリュック担いでどこかに行くのを見て、聞いたら『はよ避難せんと大事になる』って教えてもらって…」と振り返るのは、西予市野村町で理容店を営む岡澤志朗さんだ。 愛媛県南予を中心に広い範囲で記録的な大雨を観測し、野村ダムの緊急放流後に肱川が氾濫。岡澤さんの自宅兼店舗も浸水被害を受けた。 肱川から水があふれてくるのは、野村で63年生きてきた岡澤さんにとっても初めての経験で「近所の小さい川からの氾濫はいっぱいあったけど、乙亥会館側からの水ということは大川(肱川)からの水なんで、そっちの方は全然経験なかった。これはとんでもないことだと思って、すぐに避難しようとなって…」と語った。 水が引いた翌日、店内の様子は想像を絶するものだった。 大量の泥水が店舗を襲い、白い壁には、2.6メートルの高さまで押し寄せた泥水でできた線がくっきりと残されていた。 岡澤さんは「完全に全壊。2.6メートルは高いですよね。もう何もかも浸かっている状態なんで」と、当時の悲惨な状況を話してくれた。 被災から2年後、「再び同じような災害が来てもできるだけ被害が少なく済むように」と、岡澤さんは基礎を70cmほど高くするなどして新たな店舗を建てた。 野村での再建を決めた岡澤さん。 しかし、野村全体の復興は道半ばだといい、「形だけは進んだかなと。復興というか『片付け』。何をもって復興と言うんかは難しいんやけど…」と語った。
「どすこいパーク」に込められた思い
現在、野村町では肱川周辺を4つのエリアに分け、復興計画を進めている。4つのエリアの総称は、相撲にゆかりのある野村らしく「どすこいパーク」と命名された。 2024年3月には乙亥会館の向かい側に「自然と憩いのエリア」がいち早く完成した。公園内には遊具や芝生広場などが整備されており、子どもたちが遊ぶことができる。 また、災害時には「別の形」で利用される。芝生広場はヘリポートとして使用されるほか、炊き出しなどに使用することのできる「かまどベンチ」や「マンホールトイレ」などが整備されている。 また公園内には、浸水した当時の水位を示す遊具や慰霊碑が設置されている。 これは、岡澤さんら住民の声が反映されたものだ。 「風化するでしょうから、少しでも形に残って後世に伝えていかないといけないと思うので。 パッと見て分かるものが欲しいなと」と語る岡澤さん。 公園には、野村で生きる人たちの災害を「忘れない」工夫と災害に「立ち向かう」工夫が詰め込まれている。