終戦71年の夏『海の防人の母港・呉』 潜水艦と暮らすまちで見た“今と昔”
『海軍さんのまち』と呼ばれる広島県呉市。その歴史は、130年前の鎮守府設置に遡る。戦前は“東洋一の軍港”と呼ばれ、卓越した鉄鋼、造船技術を誇り、戦時中は帝国海軍の本拠地として名をはせた。また、戦艦大和に代表される多くの艦船を建造したことでも知られる。 戦争末期の呉軍港空襲では、工廠に壊滅的な打撃を受け、敗戦後は旧軍港市転換法を経て平和産業港湾都市に生まれ変わった。ことし4月にはこうした歴史を踏まえ、日本遺産に認定されている。しかし、今なお、海上自衛隊呉地方総監部ほか、第六管区呉海上保安部や海上保安大が置かれ、日本が保有する潜水艦19隻のうち、12隻が呉に籍を置き、海の守りの要となっている。 近年多発する隣国の領海侵犯により、海の備えの重要性と緊張感が高まる中、迎えた戦後71年目の夏。数多くの海軍の歴史を刻み、海上自衛隊をはじめとする“海の防人の母港・呉”の今と昔を伝える。
年間約100万人が訪れる大和ミュージアム 貴重な史料とボランティアが語り継ぐ史実
JR呉駅から港方面へ徒歩5分。呉市宝町の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)を訪ねた。ここは、明治以降の呉市の歴史と、造船を柱とした技術の展示を目的に2005(平成17)年開館。オープンから11年、年平均100万人、延べ1100万人の来場者数を誇る。 開館当時からガイドを務め、現在はボランティアの会会長でもある川西光治さん(75)はこの日も、長野から来た小中学生を案内していた。開館した当初は“軍事マニア”が多く、反対に教えられることもあったそうだが、近年は家族連れや若い来館者が増え、「みなさんが真面目に歴史と向き合い、学んでいってくれる」と微笑む。
ミュージアムの主な展示品は、第2次世界大戦当時、世界最大の軍艦だった『大和』を詳細に再現した10分の1スケール模型をはじめ、同じく当時世界最大の主砲46センチ砲弾、ゼロ戦として知られる『零式艦上戦闘機六二型』、旧日本軍初の特攻だった人間魚雷『回天』の試作10型、特殊潜航艇『海龍』など。戦前、戦後の呉の移り変わりがみられるほか、深海に眠る現在の『大和』の映像や資料など多岐にわたっている。また屋外には、実物の深海調査船『しんかい』、戦艦『陸奥』の主砲・プロペラ・主梶・錨も並ぶ。 近年は台湾など外国の来訪者も多くなった。どうしても展示物は、軍関係のものが中心になり、それに対する思想は様々だ。川西さんは言う。「絶対に忘れてはいけないのは、2度と戦争をしないこと。先人の遺した遺産に感謝しつつもそれだけは常に心がけています。」駆け足で館内を廻り、歴史を語るボランティア。彼らによって今日も平和の尊さが語られてゆく。