寝たきり社長の働き方改革(27)私たち人間だけに許された「後付けの権利」
今回でYahoo!ニュースの連載「寝たきり社長の働き方改革」は終わりとなるが、まずは、皆様には今日という日までこの連載をご覧くださったことに心から御礼を申し上げたい。 【連載】寝たきり社長の働き方改革
この連載では、筆者がこれまでに経験してきた「働く」ということを中心に記してきた。個人的な筆者の想いとしては、皆様の中にある「障がい者=可哀想な存在」というイメージをなくしたいと筆を走らせてきたわけだし、そして筆者が単に「寝たきり社長」というニュース性だけで今の居場所を手に入れたわけではないということは伝えたかった。 また今後の時代の流れを推察すると、医療や情報通信技術の発達によって、障がい者の社会進出、そして、健常者との共生は進んでいくことを少しは証明できたのではないだろうか。 ところで、筆者はなぜ、ここまで「働く」ことに対し、強いこだわりを持っているのか。 それは筆者が「働く」ことを、経済的自立や雇用機会創出であると同時に、「働く」=「存在証明」でもあると考えているからだ。 連載の最初の記事で「私たちにとって『働く』ということが何なのか、障がい者の活躍はどうあるべきなのか」という問いを投げかけた。その答えは、まさに「存在証明」ではないか、と考えている。 人間というのは健常者とか障がい者を問わず、誰かと繋がり、認められたい生き物だ。子どもの頃はまず、お父さんお母さんに認めてもらいたいと思い、そして次に、だんだん大きくなると、今度は学校の友達や先生に認めてもらいたいという欲求へ変わる。やがて次第に、大人になった私たちは「社会に認められたい」という目標を掲げ、各々が人生を歩んで行くのである。 だから「働く」ことは、その「存在証明」を実現させるために非常に有効な手段だと思うし、「働くことで人に認められる」という面ではシンプルかつ単純明快ではある。 しかし問題なのは、いま世の中の多くの大人たちが「社会に認められたい」という、なんとなく漠然としたイメージを持ったまま働いていることだ。確かにそれでは「私はなんのために働いているのだろう……」という迷い道に入ってしまうだろうし、モチベーションだって上がらないだろう。 つまりは、「自分は誰に認めてもらいたいのか」を具体的にイメージしたほうがいい。それが恋人でも家族でも上司でもお客様でも誰でも構わない。とにかく頭の中で具体的にイメージできる相手を設定しよう。すると、その人に認められたとき、必ず生の実感を得られるはずだ。 もちろん、そんな筆者自身も起業をして働いてきたことで、自分自身の「存在証明」をしてきた。「重度障がい者なんかに仕事なんてできるはずない」と否定的なことを言われてきたこともあるが、冷たい目で見てきた人たちに対し、「絶対に認めさせたい」と思い、がむしゃらに走り続けてきた。 時には諦めそうになったり、心が折れそうになったことはあった。よく人から「死にたいと思ったことはありますか?」という質問をされるが、それは当然ある。 また、メディア露出が増えるたびに「よくそんな身体を人前で晒せるね」とネットで書かれたり、仲間だと思っていた人たちから妬みや陰口を言われたりすることだってある。 だが筆者は、たとえ今後どんな困難に出くわしても、どんな逆境に陥ったとしても、絶対に自分自身に負けないという確信を持っている。 その理由は何か。それは筆者が重度障がい者である前に人間だからである。この世には、あらゆる生物が存在している。しかし、私たち人間だけに許された特別な権利がある。その権利を筆者は「後付けの権利」と呼んでいる。 筆者は、寝たきりの重度障がい者だ。誰が見てもこの時点では、ただのマイナス要素でしかないが、この身体で生まれてきたからこそ学べたこと、出会えた人の数は多い。 就職活動をしていたとき、「お前みたいな軟弱障がい者、ロクな人生送れない」と言われた。その時は「好きで何もできないわけじゃないのに何でこんなことを言われなきゃならないんだ」と途方に暮れた。別に会社を起こすことを夢見ていたわけでもなんでもなかったが、働く場所がなかったので仕方なく起業したにすぎなかった。 しかし、どうだろうか。今思えば、その言葉がきっかけとなって、仙拓という会社の「寝たきり社長」という今のポジションが築けた。加えて、これまで見過ごされがちだった「障がい者の雇用問題」の現実を知り、メディアにその重要性を訴えかけることもできた。 やがて筆者にとって、「寝たきり社長」という職が天命だと確信し、生涯をかけて向き合えるぐらい大きなミッションを手に入れることもできた。正直、筆者のような若さで、ここまで胸が高鳴るミッションに挑戦できることは半端なく幸せなことだと思う。 どんなつらいことがあっても、あとになってそれを幸せだと思えること、それが「後付けの権利」だ。 人によっては、結果論だと言うかもしれない。屁理屈だと言うかもしれない。でも、一つだけ言えることがある。「生きてさえいれば決して越えられない逆境はない」ということだ。 たとえ、あなたが逆境にいるとしても、その理由は、いつの日か「後付けの権利」を使ってプラスに転換してあげればいいのだ。 誰でも人生や仕事に悩むもの。転んで起き上がれないほど泣きたい日もあるだろう。それでも、まずは生きてほしい。そして、働ける体と心があるならば誰でも良いから、一度あなたの大切な誰かのために頑張ってみてほしい。 そしたらきっと、あなたも「働くって楽しい!」って思えるから。 (終わり)