『有吉の壁』など人気番組を手がけ独立、橋本和明さんの「刺激的」な今。佐藤勝利&蓮見翔との“手弁当”な新しいお笑いの取り組み
準備を重ねた上で、予定調和が崩れる瞬間がおもしろい
――テレビ番組作りとなると、学生時代のライブとは違うと思いますが、ノウハウなどは現場で学んでいくものなのでしょうか。 橋本:そうですね、入社当時はまだテレビ界が近代化する前だったので……(笑)、ADとして徹夜で仕事するとか、きつい下積み時代がありました。それでも自分の企画をかたちにしたくて、企画書を山ほど提出して。2年目でようやく深夜番組の企画が通って、3年目でディレクターになって、7年目にゴールデンでレギュラー番組を担当するようになりました。 その後も、『ヒルナンデス!』の演出をやったり、『有吉ゼミ』を立ち上げたり、10年ぐらいはずっとバラエティ畑で。12年目でようやく『有吉の壁』というお笑いに特化した番組をやれるようになったんです。 ――『有吉の壁』まで「お笑い番組」と呼べるものは手がけられていなかったんですね。企画は出していたんですか? 橋本:めちゃくちゃ出してました。お笑い番組ってなかなか企画が通らないんですよ。『有吉ゼミ』が当たって、ようやく「そろそろこいつにお笑いやらせてやるか」と思ってもらえたんじゃないかな。でも、バラエティディレクターとして地肩を作る期間は必要だったと思います。 『有吉ゼミ』で初めて当たったのが、坂上忍さんが家を買う企画なんですけど、芸能人が本当に家を買うわけで、そこでリアルであることの大切さを実感しました。リアルなものをそのまま届けることで、バラエティとしての強度が生まれる。『有吉の壁』でも、その点は大切にしています。芸人さんたちがその場でネタを披露して、有吉(弘行)さんが即興で○×をつける。その様子を視聴者のみなさんにショーとして見せるって、リアルなことじゃないですか。 ――たしかに、芸人さんたちのリアクションや生き様なども含め、ドキュメンタリー的な魅力を感じます。 橋本:そうなんですよ。バラエティにおけるドキュメンタリー要素って年々強まっていて、ドキュメンタリー性がないものは観てもらえなくなってきてるんですよね。YouTubeやInstagramなどのあらゆる動画が視聴者の見る目や世界を変えたんだと思います。それによって、テレビが自ら現象を作って当てるようなことが難しくなり、リアルをいかに切り取って、人の感情を導くかという方向に舵を切るようになっていった。 そこで、観ている人の感覚をすくい取る能力がより重要になってくるんですけど、僕がずっと番組で伴走してきた有吉さんとマツコ(・デラックス)さんって、その天才なんですよ。ふたりとも台本がいらないタイプで、その場の肌感で流れを作ることができる。ふたりのそばにいるなかで、自分もそういった感覚が培われたというか、チューニングできるようになってきたところはあると思います。 ――では、台本や企画の狙いなどは用意しつつも、収録はその場の流れで進めていく、といった作り方が多いのでしょうか。 橋本:そうですね。『マツコ会議』なんかも、テーマについて調べたり、いろんな人に会ったり、準備に準備を重ねるのですが、収録では現場で起きたことに流されていました。マツコさんが、画面の端っこに映っていたこちらが意図しない人を「おもしろい」と言ったら、その流れに乗っていく。こちらが考え抜いて準備した予定調和が崩れていくからこそ、それを超えたものが生まれるんだと思います。 ――企画当初のビジョンに捉われると、それ以上のものは作れない。 橋本:そう、全部が崩れる瞬間が最高におもしろいんです。『有吉の壁』で、プールの水面に浮かんだゴザの上を走って、浮島で大喜利のお題に答えるというコーナーをやったんですけど、U字工事の益子(卓郎)さんがプールから上がってこない。みんなが「どうした?」って聞くと、結婚指輪を落としたと。 そうしたら、出演者がみんなで指輪を探し始めたんですよ、濁ったプールの底を足で探りながら。有吉さんも「指輪を見つけた人が優勝です」って言い出して、結果、パーパーのあいなぷぅが指輪を見つけるというミラクルを起こして優勝した。その瞬間、もとの企画とかそれまで獲得したポイントなんてどうでもよくなるんですよ。でも、結婚指輪をなくして焦る益子さんも、それをなんとかしなきゃと思う芸人さんたちの愛情も、全部リアルじゃないですか。あのときはすごいものが撮れたなと思いましたね。