【デーブ大久保コラム】野茂英雄がメジャー・デビューしてからすごい勢いで日本の野球は進化中です
【デーブ大久保 さあ、話しましょう!】 実はあまり接点がないんです。現役時代も1度だけ対戦があり、遊飛に打ち取られています。会っても「ういっす」というくらいの仲なんです。ここまでで誰だか分かった?……分からないですよね。今週の特集となっている野茂英雄です。 【選手データ】野茂英雄 プロフィール・通算成績 対戦したのは、1990年のことでした。代打で打席に立った私に対し、真っすぐで大丈夫だろ、という感じで、ストレートしか投げてこなかったんです。まあ、直球にはめっぽう強かった私ですから、よしもらったとバットを振りましたが……今でも覚えていますが、紙一重でいい当たりになっていたとは思います。ということで、皆さんに「野茂のフォークはすごく落ちたの?」と聞かれましても「分かりません」としか言えません。打席で見てないですからね。 そんな話はさて置いておき、本題です。野茂がメジャーに渡って30周年ですか。マッシー村上さん(村上雅則)がジャイアンツで活躍されていた1960年代初めは、プロ野球が長嶋茂雄さんや王貞治さんの活躍で、ようやく大学野球の人気を上回っていく時代ですから、なかなかメジャーまでファンの目がいかなかったと思います。 そういう意味では1995年辺りは、プロ野球の人気が定着していた時期です。メジャーに通用するのか? という意識も少し出てきた中で、野茂が渡米し、大活躍をしました。何がすごいかというと、やはり、その道を自らがつくったことです。あのときに代理人という人がいることも分かりましたし、交渉してどういう金額がもらえるのか、どういう契約内容なのか、ということが分かり始めた。 その次に続いて行った日本人メジャー選手は、その段取りが非常に楽だったはずです。まさにピッチングだけではない部分でもパイオニアとして、メジャー・リーグへの道を切り開いてくれたと思います。 また、メジャーでは日本人投手のフォークが通用する、ということを示しました。これは今でも変わらない不偏の原理のようになっています。そして30年後……メジャー・リーガーたちを凌駕する大谷翔平(ドジャース)という世界一の選手が生まれました。 さらに、この30年でプロ野球のレベルが各段に上がりました。野茂が海を渡ったことで、国内の人材が流出したという方がいるかもしれませんが、それ以上の人材が次々に生まれています。もちろん、時にメジャーの水に合わない選手もいたと思います。それでも投手でも野手でも、今でもすぐにメジャーで活躍できる選手たちが多い。 実は、ゴルフ界やテニス界など、今世界で活躍するトッププロが増えましたが、それも野茂が世界に飛び出して、日本人はできるぞ、という姿勢を見せ、さらに世界という地図を見せたからという側面もあります。そういう功績は今後ますますたたえられると思います。さて次の30年後、大谷を超える日本人選手は……私は出てくる可能性は大だと思います。
週刊ベースボール