セックスレス、不倫、仕事がつらい…誰にでも訪れる「中年の危機」に、BLが効く意外な理由
女性とのセックスレスに悩むBL…!?
どの作品も面白いのでとりあえず手にとって読んでください!という気持ちだが、まず一冊おすすめしたいのは、初期の名作『ふったらどしゃぶり』。女性と同棲中の男性が主人公、しかもその女性とのセックスレスに悩んでいる、という設定は当時のBLでは衝撃的なものだった。 「同棲をはじめたおととし、ふたつのベッドは完全に密着していた。そこにいつの間にか鉛筆一本ほどの溝ができ、そうとはわからないほどじりじり広がり続け、とうとう先月テーブルがかまされてしまった…(中略)…どれくらい前から、ひとりで雨をやり過ごすようになったのだろう?」(『ふったらどしゃぶり』より) 主人公の一顕は、恋人のかおりと同棲して2年経つ営業マン。周囲の友人からは二人がいる場で「いつ結婚するんだ」と聞かれるくらいの仲で、一顕がプロポーズをすれば話は進んでいくだろう、と一顕は思っている。日常的な会話もあるし、スキンシップも、愛情もある。しかし一つだけ一顕の心を重くしていることが、セックスレスだ。かおり本人には正面から言えないまま一人で処理をし続けている一顕だったが、貴重な相談相手ができる。自分に送るつもりだったメールを誤送信したあと、なんとなくやりとりが続いている相手だ。 『女を、「◯◯する女」と「しない女」に分けるとしたら、どんな言葉を入れますか?』 『電車で化粧する女としない女』 (『ふったらどしゃぶり』より) 「他人にだけ言える事情」を言い合う関係になっていく二人だが、実は同じ会社の親しくない同期で……というストーリーだ。 他人から得られる「男性性」「女性性」をよりどころにした生き方が行き詰まったときに人はどうなるのかの描き方が秀逸で、人間関係に悩むと、何度も読み返してしまう傑作だ。
中年の新聞記者たちを描く『off you go』
もっとはっきり「中年」の話が読みたい!という方にすすめたいのが、『off you go』。 新聞社シリーズという、新聞記者やそれをとりまく人々を題材にした作品群の一冊で、「お仕事もの作家」としての一穂ミチの魅力がいかんなく発揮されている。『off you go』で主人公となるのは、大手新聞の発行元・明光新聞社に勤務する整理部記者・良時。セックスレスに悩む頃をとうに過ぎた43歳の良時は、20代の頃に結婚した妻・八重と離婚したばかりだ。原因は、八重側の不倫と妊娠。しかし、良時のなかに怒りや悲しみはあまり存在していない。最初の地方赴任先だった金沢で知り合った八重は旅館の一人娘。婿養子に入って八重の家を継ぐつもりだった良時だが、八重とのあいだに子どもをもうけることができず、次第に心と体の距離が離れた夫婦になっていたのだ。 「自分ひとりが「部外者」なんだなとはっきり思い知らされた。あの瞬間がいちばん苦しかったかもしれない。怒りでも悲しみでもなく、俺がいなきゃ丸く収まるんだろうなという目に見える実感」 諸々を清算し、あとは独りで余生を生きるのみ。その事実を静かに受け入れ淡々と生活をこなしていた良時。しかし、そこに闖入者が現れる。幼馴染であり、会社の同期でもあり、妹・十和子の夫でもある密だ。外報部という花形部署に在籍し、世界各地を飛び回ってきた傍若無人な密が、ついに十和子から離婚を言い渡されたのだという。 “「毛布か何かくれ」 「寝るんならベッド行けよ」 「夫婦のダブルベッドにか?」 「ないよ」 「男くさい一方の寝床なんて尚更いやだね。それに俺、このソファ好きなんだよ。」 ああ、ずっと昔にそんなことを言っていたな。ナツッジの白い革張りの。“ (『off you go』より) 十和子に家を追い出された密は、なぜか良時の家に居座ることに。人生のかなりの期間を共に過ごし、しばらく離れていた密と生活をともにすることになった良時は、二人の出会い、そして自身の半生について回想し、自分の感情を向き合っていくことになる。 本心を隠すことに慣れてしまった大人たちが、少しずつ素直さを取り戻していく過程には、読み手の心まで洗われるようなデトックス効果がある。ビターで前向きな人生讃歌だ。 「中年の危機」に寄り添う処方箋としてのBL小説。BLなんて、という人にこそ、固定観念を手放して読んでみてほしい。
ひらりさ(ライター・編集者)