ゆきむら。 「悔いのないようにやり遂げようと思った」挫折からの決意:インタビュー
2022年から本格的にソロ活動を開始したゆきむら。が12月11日、初の全国流通でニューアルバム『-Never ending Nightmare-†』を発売。ゆきむら。は2011年に歌い手としての活動をスタート。その中性的かつ退廃的な世界観をもった容姿と低音ヴォイス、YouTubeチャンネルを始め、さまざまなプラットフォームから発する強烈なメッセージでたちまち10代~30代の女性ファンから圧倒的な支持を集め、いまでは「現代の生きるカリスマ」として神的人気を誇るまでにその規模は拡大。 ニューアルバム『-Never ending Nightmare-†』リリースのタイミングでアーティスト写真も初の顔出し、アルバムのジャケット(通常盤)では上半身全裸など、次々と初挑戦に挑んでいったゆきむら。に今作について、さらには2025年2月11日に単独で2度目となる東京・東京ガーデンシアターのステージに立ち、開催するワンマンライヴ<Never ending Nightmare -The nigh†->について話を聞いた。 ■活動を辞めようと思っていた ――『-Never ending Nightmare-†』は初の全国流通アルバムになるそうですね。 はい。全国流通もそうなんですが、このようなメディアに出ていくこと。そのためにいろんな方からインタビューを受けたり、カメラマンさんに「いいね」といわれながらアーティスト写真を撮って頂いたのも初めてですし。いまはとっても新しいものがスタートした感じです。あまりにも毎日毎日が新鮮すぎて、いまもちょっと自分が浮遊状態なんです。 ――アー写の顔出しも、かなり思い切った行動だなと感じました。なぜこのタイミングでやってみようと思ったのですか? 正直に話すと、僕は1年ぐらい前にゆきむら。としての活動を辞めようと思っていたんです。ネットの中、そこから飛び出してもマルチで活動できる人たちが活躍しているいま、自分の“邪道を王道に変えたい”だとか、僕のような独自性、個性は時代との相性はどうなんだろうと思ってしまったんです。 ――時代にそぐっていないんじゃないかと。 ええ。いま流行っているものはどこかキャッチーで若者がとっつきやすいものなので、そこではメッセージ。特に言葉の重みはすごくデジタル化してしまったと自分は感じてしまって。そこで見る若い子たちのテンション感とか、このなかでは自分は生きづらいなと感じてしまい。それを自分のプラットフォームでも感じるようになったから“もう限界なのかな”と考えてしまったんです。時代に合わせて、もっとキャッチーなものに落とし込んででも僕は売れたいのか。そもそもそんな自分を届けたいのかというと、僕は違った。そこで1回挫折してしまったんです。 ――そうして挫折したゆきむら。さんをもう1度立ち上がらせてものはなんだったのでしょうか? 綺麗事抜きでいったら“意地”かもしれない。辞めるのはとっても簡単で容易いことなんです。だけど、僕が最後にいきついたのは“この役をやるのは僕しかいないんじゃないか”ということ。一生懸命踏んばって生きてる視聴者さんやリスナーさんの声からは、僕にしか受け止められないことがあることを日々感じるんですね。 ――ゆきむら。さんがそこで人々を叱咤激励した言葉は、いまも語録として語り継がれているぐらいですから。 ここで僕が居なくなったらこの人たちはどうなるんだ。そう思ったら、一生懸命踏んばってる子たちと同じようにといったらおこがましいんですけど、こうして挫折を経験した自分がもう1度踏んばって、やり遂げたいなという思いになっていったんです。悔いのないところまで。悔いがないといったら、これまで自分は全国流通でアルバムを出したことあるのか?やれることを全部やったのか?そういうものをすべて突き詰めたあとにネットから去ればいいじゃないかと。そこまで悔いのないようにやり遂げようと思ったんです。 ――ある意味、視聴者やリスナー、ファンの存在があったからこそ、ゆきむら。さんはここに戻ってくることができた。 そうです。長年追ってくれてる子のなかには“ゆきむら。さんじゃなきゃダメ”という子もいて。だんだんとそれが親御さんにも広がって。“親の話には耳を傾けてくれない子が、ゆきむら。さんの「お前ら学校行け」という言葉一つで、頑張って学校に行きました。私はあなたが好きではないけど、子供のためにありがとう”とか。独特な感謝の仕方を親御さんからされたりして。僕も複雑な気持ちになりながらも、やっててよかったという思いになるので。どこか大人には毛嫌いされてて、認められない部分もあるけど、届く層にはなにかが届いてる。それがあるから、僕は辞められなかったのかもしれない。僕が居なくなったとき、この子たちはどうやって生きていくんだろうって。僕が、ファンがいなくなったら生きていけないのと同じで。そういう持ちつ持たれつな感覚さえ、いまは感じてます。 ――かなり濃厚そうですね。ゆきむら。さんとファンの関係性というのは。 インターネットって顔が見えない文化ですし、いまは“推し活”文化だから、どうせ流行ってるゆきむらを。推してる自分がいいだけでしょという風に、リスナーがフェイクに思えた時期もあったんです。でもいまは“ここまで押し上げてくれてありがとう”という言葉を最近ではよくいってるんですけど。本当に、みなさんの本気の応援がなければ、多分今日もなかったと思うので。”どうせお前ら、口だけじゃん。俺のことなんか、なにも思ってないくせに“とかいうのはもうやめて、ちゃんと手を取り合って、一緒に僕らは間違ってないってことを証明していこうよという風に考え方が変わりました。 ■売れるために無理に笑ったりするようなアルバムにはしたくなかった ーーこのようなターニングポイントを経て、制作した最新アルバムに『-Never ending Nightmare-†』 というタイトルを付けた理由を教えて下さい。 全国流通になるからといって光のほうに振り切ったり、売れるために無理に笑ったりするようなアルバムにはしたくなかったので、タイトルには、自分の趣味嗜好を押し込みました。これまで、生きづらさを感じていたみんなに寄り添ってきた自分だからこそ、たとえそこが人生の泥沼でもいいじゃないかというといころは、僕自身外してはいけないと思ったので、タイトルで堂々と打ち出しました。 ――通常盤のジャケット写真。この姿にはどんな意味があるのですか? これまでのようにカッコつけて、女の子が“きゃー”ってなるような分かりやすいものもできたんですけど、今回は真っ裸でメイクも素朴な感じで。着飾らない自分です。布を剥いだ人間はみんな同じ。それをメッセージする表現として「脱ごう」と思ったんです。“ゆきむら。はカッコつけて自分を取り繕ってるだけ、単なる厨二病じゃん”、“あんなのニセモノだよ”と思われるのが悔しくて。じゃあどうしたらいいんだと考えたら、真っ裸で出るしかねぇなと思ったんです。“じゃあお前らこれできんのか?”、”俺にしかできねぇだろ?“と。 ――ロックですね。表現が。そこには、自分を批判する人々を扇動する気持ちも? そういう反抗心も多少はあったかもしれないです。 ――今作にはボーカロイド曲、J-POP曲のカヴァー、オリジナル曲、全12曲(通常盤のみボーナストラックを入れて全13曲)が収録されています。アルバムは先に配信でリリースしていたオリジナル曲「天涯」で幕開け。 ゆきむら。として一番最初に出した「ENVY」というEDMチックな曲があるんですが。みんなのなかで、ゆきむら。といえば「ENVY」という風になっていったので、今回その「ENVY」を塗り替えたいとオファーして作ってもらった曲です。本来僕が届けたかった光は、深海の底から見たキラキラした水面のような世界。ダークな世界に差す一筋の光のようなものだから、それを表現したのがこの曲です。 ――2曲目の「AI」もオリジナル曲で、こちらはゆきむら。さんが作詞を担当されていましたね。 サポートメンバーのSakuさんが僕に似合うからといってプレゼントしてくれた曲で。「愛をテーマにした曲なんだけど、作詞とかやってみない?」といわれ、そういう提案には引き気味になってしまうんですけど。愛がテーマなら、僕がリスナーさんとかいろんな人と生きていくなかで感じることを言葉にするいい機会かなと思い、引き受けさせていただきました。これも挑戦ですね。自分自身の過去もいまも未来も、全部抱きしめてあげるのはまず自分。人に何かを与えるのはそれからでいいんじゃないかと思って、書いていった歌詞です。 ――4曲目の「愛未遂ジェーン・ドゥ」はゆきむら。さんが敬愛するモーニング娘。やアンジュルムに楽曲提供されている大久保薫さんの書き下ろし。もぉ、本家の新曲かと思ってしまうほどバッキバキのハロプロ曲でした。 あまりにも本家クオリティーのものが届いてしまったので、これをゆきむら。が頂いていいのかと思いました。なので、僕も本気でハロプロ愛を注ぎこんで、100%命削りながら歌ったので、いまは自信を持ってこれは自分の曲だといえます。 ――これ、ライヴではもちろん踊りますよね? はい。頑張って振り付けを憶えます。 ――7曲目の「反逆ノノロシ」はヒゲドライバーさんの書き下ろし。 ヒゲドライバーさんは、僕がCheeky Paradeさんというアイドルグループに出会ったとき。なぜこんなに楽曲がイケてるんだというので調べて、名前を知ったんです。オタク心をつかむサウンドのノリ、バイブレーションをすごく感じたので、いつかぜひ書いてもらいたいなと思っていたので、今回お願いしました。歌はアルバムのなかで一番苦戦しました。ブースのなかで1人でゼーハーいいながら歌って、普段汗をかかない僕が汗をかきながらレコーディングした曲です。 ■どんどんゆきむら。に沼って欲しい ――12曲目のSakuさんによる「シナリオノート」。これこそ通常盤のジャケットじゃないですけど、真っ裸なゆきむら。さんという気がしました。こんな爽やかな曲を地声でストレートに歌うゆきむら。さんは初めて見た気がします。 僕もそうです。この曲を聴いたとき、まっさらなキャンパスを思い浮かべたんです。これまでゆきむら。というものをこだわって、考えてやってきたからこそ、この曲は真っ白すぎて、どうやって歌うんだろうって思いました。でも、歌い終えて聴いたら「あ、なんだ、これも俺だ」と思いました。しかも、みんなに気づいて欲しい方の、光の方の自分。これまで素直に見せられなかった自分がそこにはいたんです。アルバムの11曲目まではある意味、いままでのゆきむら。っぽいんだけど、最後にいい意味でそれがめくれたとき、光のゆきむら。がひょこっと出てくる。そこからまた再び1曲目の「天涯」に戻っても「あ、これもゆきむら。だ」と思う。1曲目から12曲目まで、全部がゆきむら。なんだというのを分かってもらいたくて「シナリオノート」を最後に入れました。 ――「シナリオノート」までに散りばめられたボーカロイド曲についても少し聞かせて下さい。選曲の決め手は? ボカロ曲については、みなさんが知っている、馴染みのある曲から選びました。 ――これまで“歌ってみた“などで散々歌い尽くされてきた曲をあえ歌うことで、自分で自分にプレッシャーを与えて追い込んでいったところもあったのではないですか? そこで、どこまで自分はできるのか。いまのゆきむら。だったらどう歌うのか。自分の歌の技量を試したかったというのはありました。 ――そこに自ら挑んだ訳ですね。 はい。そこまでやってこそ、リスナーの別の扉を自分の歌がノックできるんじゃないかと思って。それで、本家もいいけどゆきむら。バージョンもいいなと思ってもらえるものがあったらなと思って。 ――11曲目の「ハウトゥー世界征服」は別の扉が開きましたよ。聴いてて、これはいまこそ歌うべき曲なんだなと思ってグッときました。 僕もこの曲を聴いた当時はそのときなりの自分の解釈があったんですけど、この令和に。それこそ、機械的な時代になったいまだからこそ、曲が時代にハマりすぎてて。いま聴いたほうが“鳥肌ヤバっ”と思いました。これをいま自分が歌うことによって、おこがましいんですけど、なんらかのメッセージがいまの世代の子たちに刺さればなと思って歌いました。 ――5曲目の「え?あぁ、そう」と6曲目の「虎視眈々」が続けて並んでいるところは、ゆきむら。さんのセクシーゾーンと解釈すればいいですか? 僕は正直、自分がセクシーだと思ったことはないんですが、日頃からこの2曲はファンからリクエストでよく上がるんです。ここは「お前らこういうの好きだろ?」、「俺のこういう声、待ってたんだろ?」というファンサの2曲です。 ――J-POPでは、9曲目にYOASOBIの「アイドル」をカヴァーされていました。この曲は、1曲の中で声色、歌い方がどんどん変わっていくところが印象的でしたね。 僕にとってこのアイドルという単語は、アイドルになりたかった自分、いまはカッコよくて強いみたいな感じでやっている自分、それでも女性的な一面に思い焦がれていたあの頃の自分。もしもの世界線のいろんな自分をひっくるめて感じる単語だから、歌うからにはとびっきり多面性を持った「アイドル」を歌いたかったので、ころころと声色を変えるように努力して歌ったんです。原作自体、アイドルだけど闇があって。綺麗なだけが正義じゃないという世界なので、そこら辺も重ねて聴いてもらえたら、ただキャピりたくてこれを歌ったんじゃないんだぞという思いが伝わると思います。 ――このアルバム、みなさんにはどんな風に楽しんでもらいたいですか? 名刺代わりの1枚になったと思ってます。ゆきむら。はドロドロしてるだけ、闇チックな曲しか歌ってないじゃないかというレッテルが貼られているのであれば、自分の性別も含めて、女性っぽい声も出せればカッコよくもなれる。やさしい歌も歌えるし、なんだって表現できるんだぞと。いろんな曲を選んだからこそ、そういういろんなゆきむら。を見てもらえるアルバムになったと思っているので、これを聴いて「え、本当のゆきむら。はどれ?」とか。どんどんゆきむら。に沼って欲しいです。 ――2025年2月11日には、東京・東京ガーデンシアターでアルバムを掲げたワンマンライヴ<「Never ending Nightmare -The nigh†->も控えています。こちらは、どんなものにしたいと思っていますか? みんなのなかでは、1年前にガーデンシアターでやったライヴというのが1つのゴールなんです。ゆきむら。のピークといえばあのときのガーデンシアター、と全盛期扱いになっちゃってたので、ここにくるまで、コンプレックスになってました。1年越しのガーデンシアターです。まさかその間に、自分が活動を辞めるか辞めないかという壁にぶち当たって、悩んで挫折するとは思ってもいなかったので、そんな自分がご縁があって、またあのガーデンシアターに立てるというのは、運命というか。「もう1回ゆきむら。チャンスをやるからやってみろ」といわれているような気がしていて。だから、今回は1回目に立ったときとは覚悟が全然違います。勢いとかではなく、本当につかみとったものだから。終わった後は絶対に進化してる。それぐらい自分にプレッシャーをかけて挑みます。もう1回ガーデンシアターを1人で埋められたら“コイツは運で立ったんじゃない、本物だ”と思ってもらえると信じて、いまは命削るしかない。アルバムもここまで突き詰めたからこそ、2月11日もとことん突き詰めて挑みたいです。 (おわり)