なぜ、紫式部は源氏物語に“生霊”を頻繁に登場させたのか?
紫式部を主人公とした大河ドラマ『光る君へ』が放送され、『源氏物語』に注目が集まっています。古典エッセイスト・大塚ひかりさんの新刊『傷だらけの光源氏』では、登場人物たちの病気や五感の働きなど身体描写に注目し、現代にも通じるリアルな世界として同作を読み解いています。紫式部の文学は、いかにして生まれたのか? お話をうかがいました。(取材・文:斎藤岬)
厳しい現実を生きる大人が読むに堪える物語を書きたかった
――本書では『源氏物語』における嗅覚や味覚といった五感の描写や病気、死など、登場人物たちの心身に着目して同作を読み解かれています。学生時代に『源氏物語』を読んだときに「やたらとよく寝込む人たちだ」という感想を抱いたんですが、それが画期的な小説表現だったと初めて知りました。 胸の病から虫歯、瘧(おこり)、心違いの病など『源氏物語』の登場人物たちはありとあらゆる病気にかかるんですよね。主人公の光源氏をはじめ誰もが生身の体を持つ存在として描かれている。病気する身体は『源氏物語』の特徴のひとつで、先行する『うつほ物語』や『竹取物語』などとの大きな違いです。 ――なぜ紫式部はそんな文学的挑戦ができたのでしょうか。 この頃には『蜻蛉日記』など自分の生活を赤裸々につづる日記文学が隆盛していたので、リアリティという点ではその影響もあったと思います。ですが最も大きい理由としては、疫病が流行ったり貴族の栄華に綻びが見え始めたりといった厳しい現実を生きる自分たちが読むに堪える物語を書きたかったのではないでしょうか。 『源氏物語』以前の物語は、言葉は悪いですが"女子供"のためのものであり、サブカルチャーであって大人が読むには物足りないところがあったのだと思います。 ――だからこそ現代にも通じるようなリアルで等身大の描写が生まれた。 紫式部は徹底してリアリティを追求していて、たとえば「夕顔」の巻では「『いくら光源氏が優れた人物だからといって、周囲の人まで彼を褒めてばかりいるのはおかしい。作り事めいている』と言う人たちがいるから、こうして光源氏の不名誉な失敗も書いたんです」と地の文で書いています。 それほど「これを作り話だと思ってもらっては困る」という意識が強いんですよね。わざわざそう書いているのは、「今までの物語とは違うのだ」という一種の宣言だと私はとらえています。