気高く居るにも体力が必要です。(後篇)
「私は幽霊というものをほとんど見たことがない」――なのに、毎晩のように襲いかかってくる原因不明の金縛り。調べるうちに、以前から憧れていた「気高さ」や「品」をキープするには、不断の努力によって勝ち得た体力が必要なのだと気づくことに。 母は姿勢が良い。歩くときはもちろん、食事をするときでさえ背筋をまっすぐに伸ばしている。私が低いテーブルの前で腰を丸めて食事をしていると、母は私の背中をピシャリと叩いた。母がまるで規則的に上下する水飲み鳥のように口に食事を運ぶようすは、家族の誰から見てもいささか不自然に見えたものの、私はいつのまにか、これが美しい女の美しい仕草なのだと考えるようになった。そんな母のもとで育ったおかげか、私は学校でよく姿勢の良さを褒められる子どもだった。通信簿のコメント欄には決まって「姿勢が良く、みんなのお手本になっています」と書かれていて、そのほかに褒めるべきところは特にないのかと不安にもなったが、とにかく評価されているのなら悪い気はしなかった。私はますます背筋をしゃんと伸ばし、歩くときは少しばかり顎を上げて兵隊のように前進した。 あるとき叔母の部屋で深夜アニメの録画を見せてもらった。和紙を切り貼りしたような美しいアニメーションのなかには、しなやかに佇む美しい人が立っていた。奇抜な着物に白塗りの美しい顔。ゆったりと動く指先やまなざしは、すべて私の理想通りのように見えた。なんども本編を見返して、その一挙手一投足を目に焼き付け、繰り返し真似をした。そのうち意識せずともそのようにふるまえるようになって、まだ酸いも甘いも解っていないうちから、私はそうやってハリボテのように繕った「品のようなもの」を見せびらかすことを趣味にした。初めてヒールの高い靴を履いて街を歩いたあの日、ホームドアのガラスに自分の細い足首と、優雅に揺れるロングスカートが映ったときのあのときめきを思い出す。