広島優勝。緒方監督の数奇な運命
広島が10日、東京ドームで巨人を逆転勝利で下し25年ぶり7度目の優勝を決めた。先発の黒田博樹が踏ん張り神っている鈴木誠也が2本塁打、ジャクソン、中崎翔太という勝利の方程式でゲームを締めるという今季の広島を象徴するような戦い方。試合後、緒方孝市監督は「今シーズン、ずっと戦ってきた戦いが今日もできました。選手が本当にがんばってくれました」と、ベンチで貫いた“鉄仮面”を脱ぎ捨て絶叫した。 宿泊先のホテルに戻って行われたビール掛けでは「25年前に一度だけ味わったけど、この味を忘れていた。選手にコーチにスタッフに感謝です」と、興奮を伝えた。 就任2年目。優勝候補に挙がっていた昨季は4位に沈んだ。指揮官は見事な変化をチームに与えてマエケン無き後のチームを優勝へ導いた。だが、もしかすると、この瞬間が訪れてしなかったもしれない数奇な運命が緒方監督にはあった。黒田博樹と新井貴浩の復帰も運命的だが、緒方監督にもドラマがあった。 現役時代、緒方監督は、トリプルスリーを狙える攻走守の3拍子そろった選手だった。1999年は開幕から本塁打を打ちまくり、初の3割36本塁打をマーク、4割を超える出塁率に5年連続のゴールデンクラブも獲得した。そのオフにはFA権を獲得。壮絶な争奪戦が繰り広げられたが、巨人の長嶋茂雄監督が、猛烈にラブコール。実際、水面下での交渉で巨人への移籍は決定寸前だった。 FA制度は1993年から導入されたが、1994年の左腕・川口和久の巨人移籍を皮切りに、パ・リーグの複数球団とセ・リーグでは広島がFAの草刈場だった。親会社を持たない独立採算制の広島は、現在の経営状態と違い、払える年俸の限度が決まっていて、FAを希望する選手を引き止める条件にも限界があった。実際、チーム方針も、出ていく選手をお金で引き止めることはせず、若手を育てるというものになっていた。 だが、悩み続けた緒方監督は、寸前でチーム残留を決めた。1996年に結婚していた元グラビアアイドルの中條かな子さんが広島出身のため、彼女の要望を聞いたという話もあるが、私の取材では、キーマンとなったのは故・村上孝雄(旧姓宮川)スカウトだった。