自己放任が招いた「孤独死」この夏の過酷な現実、“死の現場”が映し出す社会のいびつな側面
■社会的孤立が背景 私は、これまで数え切れないほどの孤独死現場に立ち会ったが、幾度となくやるせない気持ちに襲われた。それは、故人の苦悩を感じることが多かったからだ。 孤独死やセルフネグレクトの背景には社会的孤立の問題が横たわっている。私が孤独死現場を追い続けるのは、この社会的孤立の部分で、死者たちがつねに私自身と無関係ではないと思えるからだ。 私は、いわゆる毒親家庭で育ち、幼少期から母に肉体的、精神的なありとあらゆる虐待を受けてきた。元引きこもりでもある。さらにロスジェネに当たり、新卒で勤めたのは長時間労働とパワハラが横行するブラック企業だった。
そんな生きづらさを抱えていた私は、社会からいつドロップアウトし、孤立してしまうかわからない、彼らと同じ孤独死予備軍だったといっていい。 今年と同じような灼熱(しゃくねつ)の暑さが続いた数年前、九州地方に住む私と同世代の40代女性は、SNSを通じて私に助けを求めてきた。 女性のアパートを訪ねると、天井まで達するほどの、なだらかなゴミの山ができていた。彼女は典型的なセルフネグレクトに陥っていた。エアコンは壊れていて、室温は40度近く。そんな過酷な環境で寝起きをしていたかと思うとしばし絶句した。
話を聞くと、女性は営業職としてブラック企業で身を粉にして働いていた。しかし会社の後輩の失態をかばったことをきっかけに、退職を余儀なくされる。そしてアパートに引きこもり、住戸がゴミ屋敷化し始めたのである。彼女は、必要以上に自分を責め、心身ともに衰弱していた。 ■過剰なほどに「自己責任社会」 「こうなったのはすべて自分のせい。このままゴミの中で死んでも仕方ないと思っているんです」 そう何度もつぶやき、死さえも受け入れようとした。そんな彼女の姿に、かつての自分がフラッシュバックした。私も、かたくなに他者に心を閉ざしていた時期があったからだ。親に愛された経験がないため自己肯定感が低く、命を脅かす極限の状態でも、自分が悪いからと自分を責めてしまう。彼女の思考が痛いほどに理解できた。彼女は私だったかもしれない──。