「フィギュアスケートをしようよ」宇野昌磨は浅田真央に誘われ、高橋大輔に衝撃を受けた…オリンピックよりも大切にした「自分のなりたい選手像」
5月14日、宇野昌磨が引退記者会見を開いた。 どこまでも笑顔であったことが示すように、「やりきった」充実を感じさせた会見。インタビュー形式で行われている前半には、シーズンを振り返る場面があった。背後のモニターには各大会の成績が映される。中国杯、NHK杯、グランプリファイナル2位、全日本選手権優勝、そして最後の大会となった今年3月の世界選手権4位。あわせて世界選手権フリーを終えた直後の写真も添えられていた。 【懐かし写真】宇野昌磨と浅田真央がニコニコ円陣!アイスショーで高橋大輔とこんな笑顔で何話してた?最後の全日本選手権で見せた“圧巻の演技”や、ランビエルコーチとの絆…『Number』が撮ってきたフィギュアスケーター・宇野昌磨を写真で見る。 2位が続いた前半の心境をインタビュアーに尋ねられると宇野は答えた。 「もちろん結果も求めたいと思う一方で、フィギュアスケートとして自分の全力をみてみたいという気持ちもあったので、僕としてはほんとうに満足している気持ちしか残っていないです。今映し出されているのも世界選手権直後の写真なんですけれど、ものすごく満足そうなやり切ったという顔をしているので、もちろんスポーツ選手なので結果が大事だと思うこともあるかもしれませんけれども、こうやって結果がふるわなかったときもこれだけの笑顔。この写真だけ見たらすごく幸せそうなので、それだけじゃないんだよ、というところもまた1つみえたところだなと思います」 その言葉と、4位という結果を思わせない笑顔の写真は、宇野の心持ちをあらためて示していた。同時に、結果を求める一方で「自分の全力をみてみたいという気持ち」という言葉は、宇野のスケーターとしての始まりを思い起こさせた。
態度も練習量も、浅田真央がお手本だった
宇野は5歳のとき、名古屋市内にある大須スケートリンクのスクールでスケートをしていた。そうするうちにフィギュアスケートとアイスホッケー、スピードスケートのどれに取り組むのか選択するときが訪れた。その中から選んだのはフィギュアスケートだった。 選択のきっかけとなったのは、その頃、同じ大須スケートリンクで滑っていた浅田真央の言葉にあった。 「フィギュアスケートをしようよ」 当時は今のようにフィギュアスケートが大きな注目を集める競技ではなかったし、一般には男子よりも女子がやる競技というイメージがあった。 アイスホッケーも選択肢として考える中で、それでもフィギュアスケートを選んだ。浅田と同じ競技をやりたいという気持ちが勝っていた。 今日まで続く道に進むきっかけとなった浅田の影響はそればかりではなかった。浅田の練習量は当時から抜きん出ていて、それが手本となった。 大須スケートリンクはたくさんの利用者がいて、思うように練習できないこともあった。苛立つスケーターもいた。でも浅田はそうした態度を見せなかった。それも手本であった。 フィギュアスケートに進むきっかけとなり、取り組む姿勢を学び、いわば原点とも言える存在が浅田真央だった。
【関連記事】
- 【懐かし写真】宇野昌磨と浅田真央がニコニコ円陣!アイスショーで高橋大輔とこんな笑顔で何話してた?最後の全日本選手権で見せた“圧巻の演技”や、ランビエルコーチとの絆…『Number』が撮ってきたフィギュアスケーター・宇野昌磨を写真で見る。
- 【合わせて読みたい】「これは宇野ならではの言葉だ…」涙ゼロ、報道陣も笑顔に…宇野昌磨(26歳)の“爽やかすぎる引退会見”を現地で見た「自分をほめたいなと思います」
- 【もっと読む】「宇野昌磨のキャリアが凝縮されていた」記者の感慨…全日本選手権“6回目の優勝”偉業はなぜ? 語っていた自覚「目標とされる存在でありたい」
- 【人気】「自分との戦いですね」大学4年生・本田真凜(22歳)が表現する“スケート人生の光と影”「笑顔で終わること、その目標に向けて…」
- 【衝撃】「え、こんなに筋肉が…」りくりゅう&かなだいの“肉体改造”…シングル時代と比較したらスゴかった「木原は体重20キロ増」「高橋の1日4食生活」