クーラーなしの極貧生活、悪質いじめ…藤田ニコル 幸せ結婚式までにあった母娘の壮絶半生
《母には絶対見せてあげたかった花嫁姿を見せれる事ができたし、母と歩いたバージンロードは感慨深いです》 【写真あり】“壮絶半生”藤田ニコルのウエディング姿 11月4日、Instagramにこう綴って、結婚式の開催を報告したのは藤田ニコル(26)だ。昨年8月4日、俳優の稲葉友(31)との結婚を発表したニコル。1年前から結婚式の準備を重ねてきたといい、ピンク色の披露宴会場やオーダーメイドのウエディングケーキ、さらにピカチュウにゲスト出演してもらうなど、理想の結婚式を形にすることができたようだ。 主賓の挨拶は南原清隆(59)。また中座のエスコートは梅沢富美男(73)、さらに余興に“最年少のお友達”だという村方乃々佳ちゃん(6)の歌もあったりと、ニコルらしい愛溢れるウエディングとなった。 そんな幸せいっぱいのニコルだが、これまで順風満帆な道を歩んできたわけではない。明るいキャラクターで若い女性たちから支持されている彼女だが、その半生は壮絶なものだった。 「ニコルさんはロシア人とポーランド人のハーフのお父さんと、日本人のお母さんの間に生まれました。当初、お父さんは社長業を営んでおり、家に複数のお手伝いさんがいるほど裕福な環境でしたが2歳の時に事業が失敗。そして、ご両親は離婚しました。 ニコルさんを引き取ったお母さんは朝から夕方までパチンコ店、夜は深夜3時までスナックと、1日14時間以上も働いていたそう。それでも暮らしは厳しく、いつもお腹が減っていたニコルさんは“食事”としてツツジの花の蜜をずっと舐めていたほか、テレビでブレイクするまで、家にエアコンすらなかったといいます」(芸能関係者) 生活が困窮するなか、ニコルの胸には “母の助けになりたい”という想いが芽生えた。そこで母親が「名前が似ているから」という理由で買ってきた、ティーンファッション誌『nicola』のモデルオーディションを受けることに。すると’09年、11歳の時に見事合格を果たした。 当初は撮影に呼ばれない日々が続いたが、貧しさから100均コスメでメイク研究をしていたところ、逆にその姿が注目されることに。その結果、ニコルは多くの同世代から支持を得ることとなり、さらに’15年頃からはテレビでの活動もスタートした。 ■「いじめにあったり残念ながら楽しいって思えない中学生活でした」 ティーンモデルとして華々しく脚光を浴びることとなったニコル。しかし、カメラの外で待っていたのは心無い言動の数々だった。 「中学校に上がると、学校で『あいつ、モデルやってるらしいよ』と目をつけられイジメられるように。写真に画鋲が刺されたり、理科室のテーブルに『藤田ニコル死ね』と彫られたこともあるそうです。また高校2年生までモデルとして芽が出なかったため、学校では『あれがモデルかよ』と陰口を叩かれることもあったと明かしています」(前出・芸能関係者) ’16年の高校卒業時、Instagramに《私は中学は不登校気味で学校に溶け込めずいじめにあったり残念ながら楽しいって思えない中学生活でした》《芸能をやってるからもちろん周りからの陰口は卒業式の今日まであったりしたし》と赤裸々に綴っていたニコル。しかし、苦しい日々の支えとなったのは、ファンの存在だったという。 「ニコルさんは『ファンがいてくれたからここまで乗り越えられてきた』といいます。その中でも“ななみん”というファンの存在は大きい。ななみんさんはニコルさんの熱心なファンで、ニコルさんが売れない時からイベントの際、最前列でエールを送っていました。自宅の部屋にニコルさんのグッズを並べ、SNSでニコルさんからもらった返事をコピーして飾るほどでした。 ところがニコルさんのイベントに参加した2日後に持病で、15歳の若さで亡くなりました。ニコルさんは『憧れの芸能人として私を選んでくれてありがとう』というななみんさんへの感謝の気持ちを抱え、今も仕事に取り組んでいるそうです」(前出・芸能関係者) 親子で壮絶な幼少期を乗り越え、愛溢れる結婚式を迎えることができたニコル。今後は、パートナーの力も合わせて、幸せな人生を築いていくだろう。