憧れ?嫉妬?それともモヤモヤ?なぜ私たちは「東大」に反応してしまうのか【『反・東大』著者に聞く】
「今年の東大合格者数」「東大出身タレント」「東大生の母親に聞いた頭のいい子の育て方」「東大出身YouTuber」……テレビや雑誌、ネットニュース、SNSを開けば「東大」を冠した見出しやキャッチコピーが目に飛び込んでくるのは日常の光景。私たちはなぜ、「東大」という言葉に(憧れにしろ嫉妬にしろ)反応し、何か一言申さずにはいられないのか……。「私たちは東大を内面化している」と話す『「反・東大」の思想史』(新潮選書)の著者で甲南大学法学部教授の尾原宏之さんにお話を伺いました。
私たちは「東大」を内面化している?
――尾原さんは著書のなかで「日本の近現代そのものが東大を頂点とするシステムによって生み出された」としています。東大に抵抗する勢力の側から東大を歴史的に再検討していますが、執筆のきっかけをお聞かせください。 尾原宏之さん(以下、尾原):2016年の暮れに新潮社の編集者と喫茶店で話した雑談が発端となっています。ちょうどその時期に東大理IIIにこどもをことごとく入学させた母親の教育を紹介する記事や番組、「東大」をタイトルに冠するバラエティ番組やクイズ番組などが増えていたんです。一方でネット上ではいわゆる「Fラン大学」など偏差値が低い大学に対する揶揄や中傷も目立っていました。 また、普段は学歴社会や学歴差別に批判的なメディアも毎年3月になると「どこどこの高校から東大に何人受かった」などの記事を一斉に出す。「東大礼賛があからさますぎないか?」と思ったことが執筆のきっかけのひとつです。 ――「東大」に関するニュースや話題になると一気に人々の関心が集まりますね。ネットニュースの見出しとしても「東大」はとても強いという感覚があります。 尾原:そうですね、たとえば東大の推薦入試に関する話題でも非常に社会的な反応がある。東大にまったく関係ない人が、たとえば有名人が東大に推薦で入学することに『いかがなものか』とめちゃくちゃ怒っているんですよね。社会でも『この人東大なんだって』ということが話題になったりする。要するに東大というものを内面化してしまっているんですよね。老若男女、東大というものを絶対化しているのでは? そしてその価値観の内面化が最近特に強まっているのではないか? というのが今回の執筆の動機になっています。 ――「東大の価値観を老若男女が内面化している。そしてそれが強まっている」ということについては、尾原さんはどのようにお考えですか? 尾原:基本的に不健全なことだと思います。東大生にとってもよくないし、東大生以外にとってもよくないと思っています。特にネットやSNSで、「東大」を名乗りつつ他大学出身者を露骨に見下す人がここ最近、増えたように思います。かつては東大出身者ほど言動に気をつけているな、という実感がありました。 「○○商事のやつは優秀だけれど、やっぱり東大が多い」とか、会社や社会のしがらみとは遠いところにいるようなYouTuberにも「東大」が付きまとっている。 一方で、私も地方の私立大学で教員をやっていて学生と接していても「どうせ私(僕)なんて」と異様に自分たちを卑下する学生が少なくないことを感じています。就職に関することでも「俺たちはバカだからこの程度でいい」とか「一流大に入れなかったし、勉強もしなかったからしょうがないよね」と内面化している。そういう空気が社会全体を覆っているのはとても不健全だと思います。