「物忘れが増えた85歳母と実家の整理で大ゲンカ」鈴木蘭々 自己嫌悪に陥りながらも「履けないけれど大好きなヒールの靴は残そう」と配慮した日
── ずいぶん配慮されたんですね。お母さまは、片づいた家に慣れましたか? 鈴木さん: じつに快適そうです(笑)。きれいになったので、いろんな人を家に呼びたがって、皆で鍋を囲んだり、お寿司パーティーをしたり、いまとなっては散らかっていたときを忘れて、「もともと、こんな感じだったわよ」と言っているくらいです(笑)。
■生きているからこそできる親子ゲンカのありがたさ ── 落ち着いてよかったですね。その後、お母さまとの関係は?
鈴木さん: 良好です。これはひとえに、友人のおかげでもあります。母とケンカしてしまい、なかなか片づけが進まなかったころ、介護と看取りを経験した友人の「私もよくケンカしたよ。でも、生きているからケンカもできたんだなぁって、いまになるとそれさえ懐かしく思う」との言葉に、ハッとしました。本当にそうだな、母がいなくなったらケンカさえできない。余計なことも言ってしまうのも、後で自然に仲直りができるのも、親子という絶対的な信頼関係があるからです。これに気がついてからは、母とケンカをしても「これもいつかいい思い出になる、今日も思い出がひとつ増えた」と、変な罪悪感を自然に手放せるようになりました。
── 相手が生きているありがたさは、ふだん見過ごしがちです。 鈴木さん: そうですね、相手が存在していることが当たり前すぎて忘れてしまうんですよね。ただ、一連のできごとはあくまでもわが家の事例であり、世間にはいろんな親子関係があり、それぞれ事情も異なります。物忘れにもさまざまな症状やグラデーションがあるので、いろんな苦労をされている方がたくさんいると思います。うちの母も、時折「頑固スイッチ」が入って、対応が難しくなるときもありますが、最終的にはいつも「ありがとう、ありがとう」と言ってくれます。ときには、「ありがとう」と言いながら涙を流すことも。いろんなことがあっても、結局、すべて丸くおさまるのは、この「ありがとう」の言葉のおかげでもあります。