パリ五輪の切符は残り1枚… 東京マラソンが決戦の舞台に 最後の戦いに挑むマラソンランナー・服部勇馬選手
パリオリンピック出場をかけ、3日に開催される東京マラソンで最後の戦いに挑む選手がいます。
パリ五輪でリベンジしたい 2年間の苦悩で大きな決断
1月5日。愛知県田原市でトレーニングを行っていたのは、トヨタ自動車所属のマラソンランナー・服部勇馬選手、30歳。年が明けたばかりにも関わらず、いきなりの40キロ走。さすがに苦しそうな表情を見せていました。 これほどまでに追い込んでいるのは、服部選手には大きな目標があるからです。それは、東京マラソンで2時間5分50秒を突破し、もう一度オリンピックの舞台で勝負すること。 大学時代からスター街道を走ってきた服部選手は、2年前、大きな期待を背負い夢の東京オリンピックに出場しました。しかし、朝から気温25度を超える厳しい条件となり、完走こそしたものの、重度の熱中症で73位。悔しさだけが残る結果となってしまいました。 服部勇馬選手: 「こういう経験というのが自分自身を強くしていく。もう東京オリンピックの舞台は一生自分のもとに戻ってこないので、過去の自分を見るよりこれから先、パリオリンピックに向かってイチから作り直していく」
パリオリンピックでリベンジを果たす。新たな夢に向かって再び走り出した服部選手ですが、ここから2年は険しい道のりとなりました。日本代表の選考競技会であるMGCの挑戦権をかけてレースに出場するも、結果が出ないだけでなく、レースに出ては長期のケガ。その繰り返しの2年間だったのです。結局、MGCの出場権すら獲得することができませんでした。 がんばろうとすればするほど空回りしてしまう…。そんな服部選手の姿を一番近くで見守ってきた妻は、「夫にとって走れないことが一番のストレス。毎日顔が暗くて、この2年は家が暗かった」と、当時を振り返ります。 もう1度まっさらな状態で自分のマラソンを作っていかなければ、自分自身の経験や実績を越えていけない…。そう決意した服部選手が藁をもつかむ思いで相談したのは、チームメイトのカロキ選手でした。1万メートルで2度オリンピックに出場。マラソンも2時間5分台で走る世界的スターと一緒に向かったのは、カロキ選手の故郷、マラソン王国のケニアです。