天才・武豊55歳の“知られざる伝説”「一度会っただけなのに…じつはスゴい記憶力」鋼のメンタルの秘密も「他人の期待以上に、自分に期待する」
1987年のデビュー以来、数々の記録を打ち立ててきた日本競馬界のアイコン・武豊。その手綱さばきは、年を重ねるごとに衰えるどころか鋭さを増しているようにも映る。なぜ、55歳を迎えた今もトップジョッキーとして活躍できるのか。若き日を知る筆者が、レジェンドの謎に迫った。(全2回の2回目/前編へ) 【貴重写真】「わ、若い!」「スタイルよすぎ…本当に50代?」武豊“30年前との比較写真”が衝撃的…オグリ、マックイーン、ディープ、キタサン、ドウデュースまで名馬との歩みを時系列で一気に見る(全60枚)
怪我による“スランプ”から脱却するまで
リーディングを指定席にしていた武豊が、一時期成績を落としたのは、2010年毎日杯での落馬負傷が大きな要因だった。それまで、落馬で怪我をしても、医師の見立てよりずっと早く復帰して結果を出し、周囲を驚かせるのが常だったが、左鎖骨遠位端骨折、腰椎横突起骨折、右前腕裂創で全治半年ほどと診断されたこのときだけは、本人も早期の復帰に対して慎重だった。結局、約4カ月というデビュー以来最長となったブランクを経て復帰したが、(おそらく肩の可動域などが)まだ本来のコンディションではなかったようだ。 そのため、本来の武なら難なく結果を出していたようなケースでも上手くいかないことが多くなった。そこに41歳という年齢のイメージが重なり、騎乗馬の質の低下につながって勝ち鞍が減る、という悪循環に陥った。 その後、怪我を完全に治し、キズナと出会ってダービーを勝つなどして「復活」。自身がプロデュースするジムで、理学療法士の指導を得るなどしながらコンディションを維持するようになって、現在に至る。 40代になったばかりのころは「武豊も40歳を過ぎたか」とマイナスに見られていたが、50歳を過ぎると逆にプラスに転じ、「50代になっても体力・知力を維持している超人」と見られるようになった感がある。大谷翔平と同じように、「常人の物差しでは測れないスケールの存在」として認識されるようになった。 40代のころは、意図せぬところで勝手に「引退説」が囁かれるなどしたので、メディアでこう宣言したことがあった。 「ぼくは、成績が落ちたからといって引退することは絶対にありません。辞めるときは、馬に乗れなくなったときか、まったく騎乗依頼がなくなり、JRAから『もう引退しなさい。免許の更新はできない』と言われたときだけです」 しかし、今は、彼が乗れる限りは騎手をつづけるであろうと誰もが思っている。それができる体を、医療やトレーニング理論の進歩によって維持できるようになったことも大きいだろう。 次に、厳密にはフィジカル面と切り離して論じることはできないのだが、騎手に必要な頭脳やメンタル面を見ていきながら、武のアンチエイジングについてさらに考えてみたい。
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