錦織圭が見せるベテランの意地「五輪はグランドスラムと同じくらい大事」
故障と戦いながら、再び第一線へ
二日がかりの長期戦はリタイヤという形で幕を閉じたが、試合内容は悲観するものではない。 この試合の最速サーブは錦織の172kmキロに対し、相手は227km。第1サーブの平均速度は50km近い差があった。錦織は9本のサービスエースを浴びながらも、5本以上のラリーに持ち込んだ得点では26-18とリード。正確なストローク、駆け引きのうまさは健在だった。 クレーコートから芝コートに移る今後のツアー出場は右肩の回復次第だが「なるべく芝もハレからは出たい。2、3日休んでどうなるか」と、2024年6月17日開幕のテラ・ボルトマン・オープン(ドイツ・ハレ)出場に意欲を見せる。 「試合数は前みたいに多くは出られないが、普通の流れで試合に出られるように。まずはそこに戻りたい。大きな離脱にならないことを願うのみ」 7月にはパリ五輪も控えており、出場すれば日本テニス界最多5回目の出場となる。テニスの出場枠は男女各64人で、各国・地域から最大各4人。2024年6月10日発表の世界ランキング上位56人に出場権が与えられ、残る枠は主催者推薦などで決まる。 錦織は世界ランキング350位だが、ケガや病気などでプレーできない場合の救済措置として一定期間ランキングを維持できる規定があり、その“公傷ランキング”は48位。日本男子の最高位で、自らの意思で出場を決められる立場にある。 「五輪は楽しみ。出たい気持ちはすごくあるけど、まだ身体のことがいっぱいいっぱいで正直どうなるか見えていない。自分の中で五輪はグランドスラム(4大大会)と同じぐらい大事さのところにあるので、いい結果を残したい気持ちは大きくある」 ここ数年は度重なるケガに苦しんでいるが、プレーへの意欲は衰えていない。3季ぶりのグランドスラム出場は、故障と付き合い続ける必要がある現実と、再び第一線に返り咲ける可能性の両面を浮き彫りにした。 パリ五輪の会場は、全仏オープンと同じ赤土のローランギャロス。錦織がコートに立つ姿は見られるのか。今後の動向が注目される。 錦織圭/Kei Nishikori 1989年12月29日島根県松江市生まれ。5歳からテニスを始め、2003年に米国にテニス留学。2007年10月にプロ転向し、2008年2月にツアー初優勝を果たした。2014年の全米オープンではアジア男子シングルス初の4大大会準優勝。五輪は初出場の2012年ロンドンオリンピックで8強入り。2016年リオデジャネイロオリンピックは男子シングルスで日本勢96年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した。2020年東京五輪は8強。世界ランキング自己最高位は4位。身長1m78cm。
TEXT=木本新也