武田鉄矢「思い出がありすぎる」「我が運命」、親交深い西田敏行さん追悼「もしもピアノが弾けたなら」熱唱
3人組フォークグループ「海援隊」の武田鉄矢(75)が30日、東京・江戸川区総合文化センターで行われたコンサート「日本歌手協会第51回歌謡祭」に出演し、17日に虚血性心疾患のため亡くなった俳優・西田敏行さん(享年76)を悼んだ。 突然の悲報に接し、13日が過ぎたが、まだ気持ちの整理は付いていない。武田は「思い出がありすぎるもんですからね。しばし、ぼう然としてね。まだしているんですけれども…」と率直な心境を吐露。「やっぱり、何か、(まだ)いてほしかったですよね。一緒に昭和を演じ、歌い、生きてきたという気がします」としみじみと語った。 2人は西田さん主演のTBS系ドラマ「雲を翔びこせ」(1978年)、テレビ朝日系バラエティー「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(1976~78年)など数多くの番組で共演。公私共に親交が深かった。 自身の主演映画「刑事物語」(1982年)には、西田さんも友情出演した。「生まれて初めて映画の台本を書いて。その時にプリントアウトした粗い台本を一番最初に見たのは西田さんでした。『鉄矢、俺、これにゲストで出るから』って。ほとんどただ同然で出てくれた。そういう関係でしたね」と懐古。「西田敏行は我が運命ですよ。あれぐらい、人に好かれた人はいませんでした。いい人でしたよ」としのんだ。 家族構成(武田家、西田家とも娘が2人)が偶然同じで、家族ぐるみの付き合いだった。「今でも覚えていますが、家族でチーズフォンデュの食べ方を教えてくれたのは西田さん。生まれて初めて食べるもんですから、ものすごく緊張していたら、西田さんが『難しくないんですよ』って言いながら(笑い)。あの人と一緒に作った思い出は全部、笑顔なんですよね」。良き友、良きライバルとの別れを惜しんだ。 その後、海援隊として西田さんの代表曲「もしもピアノが弾けたなら」を追悼唱。「何か照れくさくてね~」とはにかんでいた。
報知新聞社