「何がオッペンハイマーに栄光と挫折をもたらしたのか」 評伝を書いた97歳の物理学者藤永茂さんが危惧するイメージの独り歩き
◆伝記映画の日本公開で関連書籍も注目
米国の原子爆弾開発を主導した理論物理学者の伝記映画「オッペンハイマー」が、3月末から日本で公開されている。クリストファー・ノーラン監督が「原爆の父」とも呼ばれる科学者の栄光と転落を描き、米アカデミー賞で7冠に輝いた。映画が話題になるのに合わせ、オッペンハイマー関連の書籍も注目を集めている。「ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」(ちくま学芸文庫)もその一つだ。著者で物理学者の藤永茂さん(97)=福岡市=は、オッペンハイマーのイメージが運命的な天才科学者として独り歩きすると見失ってしまうものがあると説く。 「オッペンハイマーを調べるほど、魅力的な人物だと感じるようになった」と振り返る藤永茂さん 広島と長崎に原爆が投下された当時、藤永さんは九州帝大の学生だった。研究の道に進んでからも「核兵器を可能にした物理学を教えて良いのか」は切実な問題で、オッペンハイマーの生涯に興味を持った。九州大教授を経てカナダのアルバータ大教授に就任した藤永さんは、英語の文献や史料に当たり、1996年に同書を刊行。2021年に文庫化された。 オッペンハイマーは「原爆の父」と例えられるが、藤永さんは違うと言う。同書ではこう結論づけた。<ロスアラモスで、彼自身のものと同定できる独自な技術的貢献は何も行わなかった>。ノーラン監督の映画でも描かれるように、原爆開発計画には多くの研究者や技術者が加わった。「オッペンハイマーは彼らを組織した。『父』ではなく『産婆』の役を果たした、と言った方が近い」 製造の背景には、学問的な探究心や政治的な思惑が複雑にからんでもいる。「原爆を生んだのは私たち人間そのもの。1人の科学者の責任にしてはいけない」。オッペンハイマーの生涯を検証した藤永さんはそう考えるに至った。 米アカデミー賞7冠をひっさげた映画が日本に上陸し、オッペンハイマーが話題になることが増えた。この状況を、藤永さんはあまり好意的に受け止めていない。「彼が数奇な運命をたどった天才科学者だと言い立てられるほど、核兵器の問題が後ろに下がってしまわないか」と危惧するからだ。何がオッペンハイマーに栄光と挫折をもたらしたのか、考え続けることが求められている。 (諏訪部真) ◆ロバート・オッペンハイマー◆ 1904年、米国生まれ。ハーバード大などで学び、カリフォルニア州立大バークレー校で教える。第2次世界大戦が始まると、米南部ニューメキシコ州ロスアラモスに建設された研究所の所長に就任し、人類史上初の核実験「トリニティ実験」を成功に導いた。広島と長崎に原爆が投下され、戦争が終わると英雄視された。戦後は核兵器を国際的に管理する必要性を唱え、より強力な水爆の開発に反対。過去に共産主義者とつながりがあったことが問題視され、54年に公職追放された。67年死去。