「夫を殺した瞬間、ホッとした」借金あり、女癖も悪い暴力夫(28)を母親と協力してバラバラに…世間からも同情集めた「26歳・女性教師」のその後(1953年の事件)
〈【なぜ?】真面目な女性教師(26)が“2歳年上の内縁夫”をバラバラ殺人…彼女の母親も「共犯者」になったワケ(1953年の事件)〉 から続く 【女性教師の顔写真も…】「夫を殺してホッとした」26歳の女教師の写真をすべて見る 「夫を殺した瞬間、ホッとした気持ちでした」――素行が悪く、ときには暴力もふるう内縁夫を殺害した26歳の女性教師。やがて逮捕された彼女は裁判で何を語り、その後どんな人生を生きたのか? 新刊『 戦後まもない日本で起きた30の怖い事件 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/ 最初 から読む) ◆◆◆
母親とともに「内縁夫の遺体」をバラバラに…
まずは富美子が左足の付け根に包丁の刃先を置き、のこぎりを引くようにギザギザと切り始めた。が、刃が骨に当たり完全には切断できない。すると、母シカが慣れた手つきで関節を外し骨と足を分断。こうして他の部位も切断していき、約2時間で作業を終える。この後、切り刻まれ小さくなった遺体を一つ一つ油紙と新聞紙に包み、富美子が自転車で、母はバスで新荒川大橋に運搬。そのまま包みを放水路に投げ込んだ。運びきれず自宅に残していた包みも深夜に富美子が運び出し、今度は戸田橋から荒川に投棄。遺体を隠すのに使った柳行李は細かく壊し焼却した。 翌5月10日午前11時ごろ、富美子は伊藤の勤務先である志村署を訪れ、「9日までの休暇届けを出していたが、実は主人は7日の晩に酔って帰宅し、私と口論になった後外出し、そのまま行方がわからなくなった」と告げる。もちろん、殺人が発覚しないための偽装工作だ。 が、前記したようにその1時間前に身元不明の胴体が発見されたことを彼女は知らなかった。さらに富美子は11日に伊藤の継母に伊藤が帰宅しないこと、実家に来ていないかを問う電報を送達。数日後、継母から、実家には戻っていないが、荒川でバラバラの死体が見つかり心配で食事も喉を通らないとの手紙が戻ってきた。 富美子が内縁の夫を心配する妻を演じているなか、16日になりバラバラ遺体の身元が伊藤であることが判明。警察は当然のように彼女に事情を聞く。ただ、15日に頭部が発見され伊藤が被害者である可能性が浮上した時点で、警察は内密に富美子の調査を進めていた。結果、夫婦仲が悪く喧嘩が絶えなかったことが明らかに。そして、遺体を包んでいた新聞紙も大きな手がかりとなった。