日野・ルノー|ぼくは、車と生きてきた #04
自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。今回は「日野・ルノー」。 【画像】日野・ルノーのイラストを見る(全2枚)
日野・ルノー
小学生のころ、自転車で初めて多摩川まで遠出をした。丸子橋を望む土手へ着き、河原へ下りる草の斜面を一気に下った時、小さなU字溝に気づかず、もんどり打って落車した。股を打って痛かった以外、直後の記憶はほとんどないのだが、自転車もろとも前転してノビている小学生を家まで送り届けてくれたのが、日野・ルノーに乗った親切なおじさんだった。叔父さんではない。見ず知らずのおじさんだ。夕涼みにでも来ていたのだろうか。 昭和30年代、日野・ルノーはよくタクシーに使われていた。親に連れられてたまに乗ると、タバコのイヤなニオイがして、すぐ気持ち悪くなった。でも、おじさんのマイカーはそうでもなかった。横になっていたリアシートには、白いカバーがかかっていた。 日野・ルノーは昭和30年代に活躍した乗用車である。まだ十分な技術力を持っていなかった国産各社は、当時、海外メーカーと提携関係を結び、車づくりを学んだ。日産は英国のオースチン、いすゞはヒルマン。日野自動車はフランスのルノー公団と組み、リアエンジンのルノー4CVを生産した。それが日野・ルノーである。 1953(昭和28)年の発売当初は、部品を輸入して国内で組み立てる、いわゆるノックダウン生産だったが、のちに完全国産化され、63年までつくられた。4CVのあと、日野はこの車をベースにコンテッサをつくり、人気を博したが、67年限りで自社ブランドの乗用車生産から撤退する。 おじさんの茶色い日野・ルノーから40年、まさかのチャンスが訪れた。フルレストアされた63年式のステアリングを握ることができたのである。 ボディの長さと幅は、いまの軽自動車とだいたい同じだが、大きく張り出したタイヤハウスに食われて、前席の足もとは狭い。振り返ると、なつかしいリアシートも小さかった。それどころか、運転席に座ったまま手を伸ばすと、リアウィンドウのガラスにさわれる。天井が高めなので、キャビン全体にそれほど窮屈感はないが、それにしたってよくこの車をタクシーに使ったものだと思う。 お尻に積まれる748cc4気筒OHVは、21馬力。でも、意外に活気がある。最高速度はカタログ値で100㎞/h。70㎞/hペースなら、いまでもハイウェー走行ができそうだ。 いちばん感心したのは足まわりである。同じリアエンジン車でも、ずっしりした印象のVWビートルに対して、日野・ルノーの乗り心地はソフトで、とても快適だ。フンワリとやさしく地球に載っかっている感じ。「猫足」と呼ばれるフランス車の特徴と味わいがすでにある。 オーナーが大切にしているカタログを見せてもらうと、謳い文句に「高級小型乗用車」とあった。「乗心地万点の四輪独立懸架」(原文のまま)なんて文句もある。 室内も、軽々に狭いなんて言ってはいけない。あの日、おじさんは22インチの自転車もここに積んでくれたのだ。日野・ルノーは、フランス人の顔をした小さな巨人だったのだ。
文=下野康史 イラスト=waruta