イチローが「退屈な野球」と喝破、データ重視のMLBはファンタジーとドラマを失うのか!?【連載・一志順夫コラム『白球交差点』vol.10】
音楽プロデューサーとしてCHEMISTRYやいきものがかりの結成、デビューなどで手腕を発揮する一方で、半世紀を超えるアマチュア野球観戦により野球の目利きでもある一志順夫。連載コラム「白球交差点」は、彼独自のエンタメ視点で過去と現在の野球シーンとその時代を縦横無尽に活写していきます。 【動画】高校野球部の枠を超えた愛工大名電グラウンドが凄すぎる!最新鋭・UCLBとは?
「情熱大陸」でイチローと松井が語ったメジャーリーグへのシニカルな批判
年末年始にかけ、たまたま野球関連の映像コンテンツに触れる機会に恵まれたので、今回はそれにまつわる雑感を徒然なるままに記したい。 まずは、イチローに密着取材したドキュメンタリー「情熱大陸」(MBS 12/22・23放映)。現役引退後は「マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター」という肩書でシアトルに本拠を構えながら、高校球児の指導や女子高校野球選抜チームとの交流など日本球界全般に貢献しているのは周知のことであろう。番組前編では、シアトル自宅でのトレーニング風景を中心に知られざる日常を紹介していたが、引退して5年以上経過した現在もストイックにトレーニングマシーンに挑む姿には鬼気迫るものがあり、イチローという規格外の人間性が垣間見えた。 高校時代から有力なドラフト候補としてコアな野球ファンにはそこそこ知られた存在だったが、スカウト含め当時の彼をみてここまでの歴史的レジェンドになる未来予想を描けた者は皆無なはずだ。筆者が初めて「生イチロー」を視界に捉えたのは、オリックス時代の1992年、ジュニアオールスターゲームであった。まだ選手登録名が本名の「鈴木一朗」だった頃だ。先発はイチローと同期のオール・イースタン石井 一久(当時ヤクルト)、オール・ウエスタン若田部 健一(当時ダイエー)の両ドラ1ルーキーで、3年目の新庄 剛志(当時阪神)は遊撃手として出場していた。
イチローは8回に代打で登場、有働 克也(当時横浜)のスライダーを一閃すると東京ドームのライトスタンド上段にライナーで放り込んだ。見た目は華奢で非力なイメージだったので、その意外なパワーに瞠目したと共に、「この選手は間違いなく2、3年後の一軍レギュラー候補だなあ」と記憶に留めた。その時のベンチからバッターボックスに向かい、そしてホームランを打ってダイアモンドを悠然と回る一連の動きはいまだ瞼の奥に残像として深く刻まれている。「2、3年後のレギュラー候補」どころか、3年目の1994年のシーズンには210安打で首位打者を獲得、その後の活躍と快進撃は筆者の予想を遥かに上回ったことは言わずもがなである。 「情熱大陸」後編では、1学年下の松井 秀喜氏との「鉄板焼」トークに花が咲く。これまで際立った接点と交流がなく、それをもっていわれなき不仲説まで取り沙汰されたこともあったようだが、同じメジャーの土俵で切磋琢磨してきた両人、野球観や野球哲学には通底する部分も多く、特に松井から「今のメジャーの試合を見てストレス溜まりません?」という投げかけに「むちゃくちゃ溜まるし、退屈な野球」というイチローの返しから展開する現代野球へのシニカルな批判は一聴一見に値する。