特別な日に東京の杜に抱かれた〝神髄〟食す 新しくも懐かしい味わい ホテルニューオータニ「石心亭」の和牛ステーキ
【肉道場入門!】 ★絶品必食編 特別な祝いの席には特別なしつらえが必要だ。都心の広大な日本庭園のなか、木々の間からぼうっとあたたかな灯りが漏れる。要人たちが舌鼓を打ってきた「石心亭(せきしんてい)」の鉄板焼きカウンターは特別な日にふさわしい。 ホテルニューオータニ(東京)にあるこの店ではそれぞれの客に〝専属〟シェフがつく。鉄板焼きは目の前で調理した料理をサーブまでシェフが一手に引き受ける。常連のなかには、シェフを〝指名〟する客もいる。 鉄板焼き専門店のコースは和食や洋食など、さまざまな料理のエッセンスが詰まったコース仕立て。前菜からデザートまで、さまざまな料理が混在する独特の組み立てだ。 今も昔も花形が和牛のステーキだということに変わりはない。だが、和牛は時代に応じて変化している。いまの5等級の和牛はサシが多い。すき焼きやしゃぶしゃぶへの適性は高くとも、分厚いステーキには向いているとは言えない個体もある。 「石心亭」でのある日の和牛は4等級の宮崎県産サーロインと大分県産のヒレ肉だった。 230度に熱せられた厚さ2センチの鉄板に分厚い肉を載せる。香ばしい匂いとともに和牛自身の脂が溶け出し、接地面が揚げ焼かれるように深い焼き色へと育っていく。 まずは塩をほんの少しつけて、和牛のヒレを口に運ぶ。やわらかな肉の繊維の間からじゅわじゅわと肉のジュースが染み出してくる。かたやサーロインは、噛みしめるとジュバアッと肉汁が口内にあふれ出す。同じ等級の2センチを超える厚切り和牛でも部位が違えば、肉の繊維や脂の質・量、肉汁の質さえも異なるのが、なんとも楽しい。 肉には個体や部位の数を超えた無限の味わいがあり、味つけの正解もまた無限にある。 この日の石心亭の提案は4種。ヒマラヤ岩塩、和歌山県湯浅醤油の樽仕込み醤油、生姜醤油、そしてオリジナルの玉ねぎソース。次の一切れをどの味にするか逡巡する時間もまた贅である。今年登場した復刻ガーリックライスという〆もまた、新しくも懐かしい、他にない味わいだ。 誰かの特別な日に特別な場所で舌鼓を打つ。東京の中心に残された美しい杜でしか体験できない伝統と革新という粋がある。 (火曜日掲載)
■松浦達也(まつうら・たつや) 編集者/ライター。レシピから外食まで肉事情に詳しい。新著「教養としての『焼肉』大全」(扶桑社刊)発売中。「東京最高のレストラン」(ぴあ刊)審査員。