愛沢えみり「スタッフが続々辞めて」 中国の工場で直談判して始めたアパレル事業が好調も「プレイヤー気質で」経営者としての悩み語る
当時は、OEM(メーカーが企業の依頼を受けて製品を製造すること)の存在を知らなかったんです。日本にいても、中国の工場とやりとりしてくれて洋服ができる仕組みなのですが、私の場合は、とにかくすべて自分で、いちから始めました。このおかげで、中国のものづくりをこの目で見ることができましたし、ゼロからものを作る過程についても知ることができました。 洋服につけるボタンを作る工場を見た時に、「この世の中に作れないものはない」というのを肌で感じました。ボタンひとつとっても、できているものの中から選ぶのではなく、いちから作ることができる。
できないことはないと知れたことは大きかったです。その1~2年後に、OEMを使い始めるのですが、「これはないよ」とか「こんな生地はない」と言われても、この目で見てきた経験があるので、「絶対あるし、絶対できる」ということも言いきれました。ものづくりに関しては、「できないのではなくやる気がない」という考えにそこからなっていきました。 ── 海外で仕事を依頼する際に、トラブルなどはありませんでしたか。 愛沢さん:文化や価値観の違いを痛感しました。こちらは日本基準のクオリティを求めていても、仕上がりを見ると不良品ばかり。日本にいると当たり前にいいものを作ってくれて、できなかった場合にはお金が戻ってくることもありますが、当時の中国でそれは通用しませんでした。不完全なものにお金を取られた経験も何度もあります。これまで経営にについて勉強をしたことはなかったのですが、人を見抜く力や、リスクヘッジの面で学ぶところが多くありました。
■経営者としての悩み「厳しい意見ほど聞くべき」 ── 起業してから挫折を感じたことはありますか。 愛沢さん:ビジネスは順調で、挫折というと私自身のことになるですが、もともとの性格で協調性がないとか、価値観を押しつけてしまうところがあり、それに気づくまでに時間がかかりました。人と一緒に働くという社会人経験がなかったので、自分で頑張って、それに対する評価をされてお給料が上がることが幸せだと思っていたんです。周りの人もみんなそうだと勝手に思い込んでいたのですが、人によって幸せの基準は違います。プレイヤー気質が抜けるまでが大変でした。