「プロ野球90年」ティモンディ・高岸宏行さんが振り返るプロ選手を目指した日々 「諦めたのは挫折ではありません。あの経験があるから今がある」
発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。今も独立リーグでプレーするお笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏行さんが、プロを夢見て野球に打ち込んだ日々を振り返った。(聞き手 共同通信・小林晴彦、児矢野雄介) 【写真】競技中に撮影された写真が「週刊誌の袋とじになっていた」 スポーツメディアの容姿報道に疑問 「結局、実力主義ではない」
▽日本シリーズに憧れて 最初にプロ野球に憧れたのは小学4年の頃、2002年の日本シリーズかな。巨人の上原浩治さんが投手で打者が西武の松井稼頭央さん。テレビ中継も試合前から緊張感があって、すごい祭典なんだなとわくわくしてながらプレーボールがかかるところを見たのがすごく印象に残っています。あれを見て「この中の人たち格好いい。目指してみたい」と思いました。 少年野球のチームに入ったのは3年生の時。友達に誘われて、なんとなく入ったという感じで、野球にはまっていったのは4年生の頃だったと思います。5年生ぐらいからはピッチャーでプロ野球にいきたいと思い、全ての時間を野球にかけたいという気持ちで生活していました。朝起きたら家の前で壁当てや素振り、ダッシュをして、みんなが登校し出したら道具を置き、ランドセルを背負っていくのが日課でしたね。 上原さん、西武の松坂大輔さんにソフトバンクの斉藤和巳さん。フォームの連続写真を見て、その時のすごい投手はみんなまねした。140、150キロと球速が上がっていくにつれて、どんなタイプの投手としてプロに入り活躍するのか、明確にイメージするようになりました。
▽応援される側から応援する側に 愛媛・済美高の時に、2球団がドラフト下位か育成選手での指名を検討しているという話を監督づてに聞きましたが、指名されるかどうか分からないぐらいの実力で待つよりは、大学にいってからドラフト上位を目指した方がいいんじゃないかということで東洋大に進みました。 でも練習に参加した初日から、こんな高いレベルの中でやれるのかという焦燥感。毎日200球ぐらい投げ込みをしたり、そこからイップスになったり。自分に課しすぎてしまったというか、1年生のうちに公式戦で投げないとドラフト1位なんて言っていられないと思って、自分で必要以上にプレッシャーをかけてしまった。イップスを治そうとしてもっと投げ込んで、肘を壊して投げられなくなってという悪循環でした。 3年生の終わりごろに退部しました。僕は全額免除の特待生だったのですが、1年ごとに更新する仕組み。イップスで打撃投手もできず、戦力にもなれない自分がその待遇を受けるのは違うのではないかと思って監督に相談したところ、「じゃあ最後の1年は自分でアルバイトをして、学校だけは卒業しなさい」ということで退部した形ですね。