《最初は「人生が終わったと感じたが……」》重い障害のある娘と母が、何があっても笑顔で生きていける理由《12年間の密着取材『江里はみんなと生きていく』》
衝撃的だった津久井やまゆり園事件
撮影開始から5年後、2016年7月に衝撃的な惨劇が起きる。相模原市の障害者施設、津久井やまゆり園で入所者19人が殺害された事件だ。映画ではこの事件に直接触れてはいない。しかし「障害者は生きる価値がない」という犯行動機に厳しい批判が寄せられる中、監督の寺田靖範さんは、誰しも「自分もモンスターになってしまうかもしれない」という危機感が必要ではないかと感じたという。その答えが作品として示される。 この映画を観ると、障害者と支援者は単純に支え支えられという関係ではないことがわかる。例えば良枝さんにとって娘、江里さんはどういう存在か? 「何よりも本質的なことを教えてくれる、というところに、私はすごく支えられてるし。何か辛いなあとか、こんな仕事やだなあとか思っても、彼女が逃げることを許さないんだけど、それはすごく支えなんですよ」 「生きててくれないと困る。と言うか、生きててほしいから。ずっと私を支えてきた人なので、いてほしいなって」 江里さんの暮らしを良枝さんが支えてきたように、江里さんの生きる姿が良枝さんの人生を支えてきた。それは母娘の間に限らない。法人の職員として江里さんの介助にあたるスタッフも同じだ。その一人で産休から復帰したスタッフに、江里さんが指を使った会話で話しかける。 「戻ってきてくれてよかった」 するとスタッフは答える。 「そういってもらえてうれしいよ。江里さんのこと忘れるわけないからね」 互いにかけがえのない存在になっていることがわかる。
だから「みんなと生きていく」
やまゆり園事件の翌月、江里さんは親元を離れ一人暮らしを始めた。親亡き後を見据えて、ということだ。とはいえ江里さんは誰かの助けなしで一人だけでは生きられない。24時間体制の手厚い介助があってこその一人暮らしだ。 それを「自立」と呼べるのか、と疑問を持つ人もいるかもしれない。だが、自立って何だろう? 人はそもそも社会の中で、周囲の人々との関係性の中で生きている。「介助を受けている」ことと自立とは無関係ではなかろうか? 作品の中で江里さんは、いつも笑顔をたたえている。目が輝いている。「私は人生を楽しんでいるよ」と語っているようだ。自分の人生を目いっぱい楽しんでいる人の目。その目を見て思う。 「生きたいと思うことが自立なんだ」 江里さんの周りには彼女の生活を支え、彼女から支えを得る人たちが大勢いる。一人じゃない。みんながいるから何とかなるよ。だからこそ「江里はみんなと生きていく」なんだ。 『江里はみんなと生きていく』 監督:寺田靖範/2024年/日本/91分/配給:おもしろ制作/公開中
相澤 冬樹/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル
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