宗山塁(明大)父が語る原風景【前編】「『毎日、練習すること』。この約束を9年間守りました」
「不平不満、愚痴の一言も聞いたことない」
2月末、オープン戦で右肩に受けた死球は、本人からも痛みを含めて、「大したことではない」と連絡をもらっていました。ただ、レントゲンで骨折と診断されたため、より慎重に治していかないといけない状況になり、いろいろとサポートしていただき感謝しかありません。日ごろから体のことについて、いろいろ学び、考えているようで(全治3カ月よりも)、復帰するのが早かったようです。(シーズン中のオープン戦で)中指をケガ(骨折)したときは「またか……」と。私もさすがにショックで、春は無理だな、と。ただ、起きてしまったことは仕方ない。あとは秋に向けてやるしかない。我慢はあったかもしれませんが、客観的にチーム全体を見渡すこともでき、良い時間を過ごしたのではないでしょうか。 秋の開幕前のエスコンフィールドでの試合(日本ハム二軍、東京六大学オールスターゲーム)を前に「録画しておいて」と連絡がありました(両試合で2安打をマーク)。塁の打席を編集して送ると「しっくり来る」と返信がありました。いつ以来か……。久々に好調に近い言葉を聞きました。2年時が一番、状態が良く、3年時は難しかった。4年になってケガもあり、さらに厳しくなり……。 この春は打席で打てる気配がしなかったですからね。バットが振れていませんでした。塁が言うには、準備期間が少なく、実戦を積めないまま開幕した、と……。最大限の調整はしたんでしょうけど、レベルの高い東京六大学ですから、そこは、甘くはないですよね。高山俊選手の131安打(リーグ最多記録。宗山は3年秋の終了時点で94安打)ですか? そこは、目指せたかもしれませんが、今となっては無理なので、あとは、主将としてチームを優勝させることが一番。自分のことよりも、チームのことが最優先になると思いますので、そこは、しっかりやってほしいです。 ケガをした期間に、弱音ですか? 一切ないです。あの男、子どものころから絶対、口にしないので……。いくらしんどいことがあっても、不平不満、愚痴の一言も聞いたことないです。僕はすぐに何かあると「あ~面倒くさ~」と言ってしまうんですが、ね(苦笑)。反面教師なのかもしれません。 そういう気持ちは強い。小学1年時に野球チームに入る条件として「毎日、練習すること」を掲げたんです。仕事を終え、帰宅してから塁の練習に付き合う私自身にも、覚悟が必要でした。広陵高校に入学し、野球部の清風寮に入寮するまで9年、この約束を守りました。1年365日、自宅前の庭に設置した打撃ケージでバットを振っていました。一番、ここにいる時間が長かった。原点と言ったら大げさかもしれませんが、この場所がなかったら、今の姿は想像できません。 (中編に続く) 文=岡本朋祐
週刊ベースボール