物流倉庫のバイトのあとに『柔らかい個人主義の誕生』を読む...私たちは「かわいいが社交に置きかえられた世界」を生きている
物流倉庫バイトでは「うざい人間関係」から解放されるが「恐怖」もある
しかし、いまやファミレスでは猫型ロボットが働いている。脱・脱産業化社会? 消費だけではなく、生産や流通といった社会のあらゆる領域で人間同士のやりとりが失われている。 その意味で、個人の個別化はかぎりなくすすんだ。けれども、柔らかい個人主義は誕生しなかったと思わざるをえないのだ。 ぼくは物流倉庫でピッキングのバイトをしている。手持ちのハンディで出荷指示書のバーコードを読み込む。「商品A1345 個数3」といった指示が画面に表示されるので、商品を集めてダンボールに詰めていく。 大手の倉庫ではロボットがすでに稼働しているので、近い将来にはなくなる仕事である。とはいえ、田舎の人間を最低賃金900円でこき使ったほうがまだ安くつくみたいだ。 バイトを始めて1週間経って気づいた。会話がないのだ。数十人が同じ倉庫で働いている。けれどもだれもしゃべらない。すべての作業がひとりで自己完結できる。コミュニケーションをとる必要がないのだ。指示はハンディが出してくれるし、ミスすればハンディが警告してくれる。 ぼくにとってこのバイトはとても快適だった。というのも、以前、野菜の出荷場で同じくピッキングの仕事をしていた。 しかし、デジタル化されておらず、教育係のおばあちゃんにやかましく指示されていた。うっかりしているぼくはよく注意されて、いちどドロドロに溶けた三つ葉を出荷して「こんなミスは幼稚園児でもしない!」と怒鳴られたのだった。 コミュニケーションがなければ、セクハラもパワハラも起きない。職場のうざい人間関係から解放される。 もちろん、やりとりが必要な職種もあるが、テクノロジーを介することで、なるべくコミュニケーションを抑制している。常に監視されている。ログが残ると意識すれば、不必要なことはしゃべれない。ハラスメントが厳しくなった現在、人間のコミュニケーションは企業にとってリスクなのだ。 人間同士のやりとりがめんどくさい。なるべくひとりで過ごしたい。ぼくが物流倉庫のバイトにありつけるのも、そんな消費のあり方が増えたからだ。 ネットで商品を注文すれば、翌日には自宅のまえに置かれている。とても快適である。とくに新型コロナ禍では感染リスクを抑えるために対面のコミュニケーションが制限された。そんな風景が当たり前になりつつある。 しかし、ひとりの快適さを得た代わりに失ったものもある。バイト中にときどきおそろしくなるのだ。もし、このダンボール箱の山が崩れて、ぼくが下敷きになっても、だれも気づかないんじゃないかって。