【ふくしま創生 挑戦者の流儀】古川プラスチック(福島県会津若松市)社長・古川孝治(上) 玩具パーツ受注で成長
福島県会津若松市河東町の田んぼに面した80坪の町工場。小気味よい機械の音とともにプラスチック製の食器類などが次々と形作られる。成型加工を専門とする古川プラスチックは日用雑貨を中心に玩具や電子製品など多様な部品を大手メーカーなどに供給してきた。「わが社の製品は誰もが一度は手にしているかもしれない」。社長の古川孝治(60)は最終製品を並べたショーケースを見つめる。かつて子どもたちが手に汗握って熱中したあの家庭用ゲーム機のコントローラーもここで作られた。 父の孝吉(故人)が1979(昭和54)年7月に創業した。市内河東町の国道49号脇にあった倉庫の一部を間借りしての出発だった。最初の受注は乗り物がロボットに変形する玩具の下半身パーツ。いわき市に当時、大手玩具メーカー関連の組立工場があり、そこから声がかかった。創業時、古川は中学3年生。学校帰りには必ず工場に立ち寄り、父の仕事を手伝うのが日課となった。喜多方工高機械科を卒業後、いったんは地元の別の製造業に就職し、20歳で家業に入った。
「取りあえずやってみる」「断らない」―。新たなものづくりを積極的に取り入れるのが先代からの教えだ。小規模な「家内工業」ながら確実な納期と柔軟な受注対応を心がけてきた。信頼を積み重ね、引き合いに切れ目がない。 社業を大きく軌道に乗せたのは人気テレビゲーム機の登場だった。「月産100万個をお願いしたい」。大手と取引のある中間業者からコントローラーのフレーム受注が舞い込んだ。100万個…。工場の規模と人員から見て現実的な数字ではなかった。ただ、断るという選択肢はなかった。要望に応えるため、家族総出で納期に立ち向かった。年に2度の厳しい監査にも対応した。 2000年代に差しかかろうとするころ、一つの転機がやってきた。新たなゲーム機種の台頭で既存品の受注量に陰りが見え始めた。別に取引のあった日用製品も量販メーカーが中国に生産拠点を移してしまった。同じ境遇の同業者がバタバタと倒れていくのを目の当たりにした。「(取引先の)一本足では駄目だ…」。悩む古川は引き合いが次第に増えつつあった地元の伝統工芸である会津漆器向けの受注に軸足を移し始めた。