ファームで好成績のビシエド 他球団から「一軍で十分に通用する」高評価が
他球団で復活したベテラン
出場機会を減らしたベテランが他球団に移籍して復活を遂げたケースは過去にある。1980年代に広島の主力打者として活躍した小早川毅彦氏は96年に6試合出場にとどまり、ヤクルトに移籍。当時の野村克也監督に評価されて97年の開幕戦・巨人戦(東京ドーム)に「五番・一塁」で抜擢されると、前年まで3年連続開幕戦完封勝利を挙げていた相手エース・斎藤雅樹から3打席連続本塁打で勝利に貢献した。野村監督は「あの3発や。負け犬根性も、斎藤への苦手意識も見事に払拭してくれた。小早川の3本がすべてや」と絶賛。同年は116試合出場で打率.249、12本塁打、33打点をマークし、リーグ優勝、日本一の立役者になった。小早川氏は現役引退後に、ヤクルト時代の3年間を振り返っている。 「僕が移籍したときは36歳でしたがそれでも1クールに1回は特守があり、いつも辻発彦さんと一緒に受けていました。辻さんは僕より年が上なのに僕のほうが早くばてていて、何とかついていこうと必死でした。辻さんと一緒に特守を受けていたからこそ頑張れましたね。ヤクルトではサインプレーやフォーメーションなどは何度もやります。しっかり頭で理解させる感じ。分かっていても、ミスすることはありますが、そのできなかったことに対してなぜできなかったのかを聞かれます。理解してのミスなのか、分かっていなくてミスしたのか。聞かれたときに答えられるよう準備をしておかなくてはいけない」 小早川氏の広島最終年と35歳のビシエドの境遇が重なる。来季も中日のユニフォームを着るのか、それとも──。 写真=BBM
週刊ベースボール