「きつい練習をきつそうにやるのは並のチーム」。令和の指導者に求めたい姿勢とは?【松田丈志の手ぶらでは帰さない!~日本スポーツ<健康経営>論~ 第2回】
2004年のアテネ大会から4大会連続で五輪に出場し、うち3大会で計4つのメダルを獲得した日本競泳界が誇るレジェンド・松田丈志がアスリートの視点で、そしてアスリートを支えるさまざまな活動をしている現在の立ち位置から日本のスポーツ界が抱える問題を考察。第2回は選手と指導者の関係性にフォーカスする。 【写真】日濠の恩師と映る松田 * * * スポーツの未来を考えたときに、各スポーツの愛好者を増やしていくことが大事だと私は考えています。この愛好者の中には「する、みる、支える」人たちが含まれていますが、どのスポーツも愛好者が減れば衰退していくのは避けられません。連載第1回で書いた五輪然り、各スポーツも無数にあるエンターテインメントのひとつとして、人々に選ばれる存在にならなければなりません。 私のやっていた競泳であれば、子供に習わせたいスポーツでは常に上位にランクインされていますが、成人後に日常的に泳ぎ続けている人や、「みる競技」として試合会場に足を運んでくれる人が少ないという課題があります。 スポーツも「選ばれる必要がある」時代において、現場のコーチや指導者の存在も大きいです。 「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」 という格言があるように、どんなスポーツを学ぶにしても良き指導者に出会うこと、探し求めることが重要ですし、選ぶ権利が選手側にはあると思います。各競技団体目線で見れば、良い指導者を増やしていくことが競技の愛好家を増やしていくことにもつながります。 私は相撲も好きで幼少期からよくみているのですが、先日の宮城野部屋での暴力問題のようなことが起これば、大相撲の本場所は連日満員御礼で興行としては成功していても、そのスポーツを実際に自分の子供にやらせたいと考える人は減ってしまうでしょう。 世間でも「謎ルール」や「謎校則」がときどき話題になりますが、例えば高校や大学の部活動や寮生活の中で、下級生だけが練習の準備や後片付け、寮の掃除をするなど、合理的でないルールは今でもスポーツ界に多数存在します。それらも指導者が時代の変化に対応し、チームのパフォーマンスを最大化するために改善していくべきことだと思います。理不尽なルールでは人は集まりませんし、高圧的、抑圧的な指導方法はもう時代遅れで、指導者やコーチ側の知識やコミュニケーション能力が乏しいと判断されることになります。 私は久世由美子コーチに、4歳から32歳で引退するまで長年師事しましたが、久世コーチと私の関係性も年齢に応じて変化していきました。水泳を始めた当初は、とにかく「コーチの指示をやり抜く」という気持ちでその通りにやることを意識していました。それで実際記録も伸びたわけですから、成果は得られていました。 そのスタイルに変化があったのは私が20歳のとき、自身初めての五輪となった2004年のアテネ大会後でした。アテネ五輪では目標としていたメダルには届かず悔しい思いをしました。悔しさの中で、なぜ自分はメダルに届かなかったのかを考えていたとき、気づいたことがありました。それは私の中にやってみたいトレーニング方法や強化スケジュールなどがあったとしても、それを意見としてコーチに言えていない自分がいたことです。「次の北京五輪では絶対リベンジをしたいし、これは自分の水泳人生だ。後悔だけはしたくないから、自分が100パーセント納得した状態でトレーニングしたい」と考えるようになりました。