「きつい練習をきつそうにやるのは並のチーム」。令和の指導者に求めたい姿勢とは?【松田丈志の手ぶらでは帰さない!~日本スポーツ<健康経営>論~ 第2回】
そこから積極的にコーチに意見するようにしました。幼少期から指導してもらっているコーチに意見することは、最初は緊張しましたし、コーチも戸惑ったと思いますが、根気強く私の意見にも耳を傾けてくれました。指導者から選手への一方的なものではなく、双方向のやりとりの中でお互いが意見を出し合い、時に意見がぶつかりながらも最適解を導き出し、合意の上でトレーニングに臨む。そうすることで、きついトレーニングにも「自分たちで決めたことをやり切る」という強い気持ちで挑めるようになりました。アテネ五輪をきっかけに指示を待つだけでなく、「自ら考え、ふたりで議論し、実行する」というスタイルに変化したのです。 オーストラリアの水泳チームから学んだこともあります。私は高校3年生の冬から毎年オーストラリア・ゴールドコーストのマイアミスイミングクラブの練習に参加していました。五輪金メダリストや世界記録保持者を多数輩出しているチームで、当時のヘッドコーチはデニス・コテレルという世界的にもハードなトレーニングをすることで有名なコーチでした。 私が驚いたのはそのチームの雰囲気でした。想像するだけで気持ち悪くなりそうなハードトレーニングの前に、デニスコーチや選手たちは直前まで笑いながら話をしているのです。そのあまりの明るさに、「今から本当にこの練習をやるのかな?」と疑うほどでしたが、本当にやりました。きついことをきつそうにやるのは並のチームで、きついことを楽しくやるのが一流のチームだと学んだ瞬間でした。 コーチと選手の関係性がフラットであることにも驚きました。世界的に知られた名伯楽であるヘッドコーチのデニスに対して、「ヘイ、デニス!」と選手が声をかけてプールサイドで立ち話をする姿を何度も見てきました。ここでも双方向のコミュニケーションがあり、お互いの意見を聞き合いながら合意形成がなされていました。 スポーツが人生のすべてではないですが、スポーツの指導者が選手や子供に与える影響は大きく、スポーツとは、人ひとりの人生を変えうる可能性があるものです。ゆえに私は、指導者やコーチである以上、学び続ける姿勢が求められると思います。指導やトレーニングは科学的根拠に基づいたものが提供されるべきだし、パワハラやモラハラ、セクハラはあってはなりません。スポーツを楽しむことや競技力向上につながらない、旧態依然とした慣習も必要ないでしょう。 昨今の社会情勢から、スポーツの世界もかつてに比べれば子供や選手側の立場が守られ、意見が通りやすい状況になってきています。一方でそれは「自分に甘く、容易な環境を築く」ことはいくらでもできる状況である、ともいえます。指導者やコーチが選手に対して遠慮し、本来ならば言うべき事を言えない状況もよく見受けられます。 その点、久世コーチの指導は一貫しており、常に私に対してこう言っていました。「私はあなたを選手として、そして人として成長させるためにここにいる。どんなにあなたに嫌われようとも、選手として、人として必要なことは言い続ける」と、一切の忖度なしに指導してくれました。 そして、誰よりも私の可能性を信じてくれた人でもあります。「丈志、あんたならやれる」と常に私を鼓舞し続け、私の可能性を引き出すためなら時間も労力も惜しみませんでした。成長するために必要なアドバイスを忌憚なく言ってくれて、誰よりも私の可能性を信じて共に戦ってくれました。だからこそ私は久世コーチのためにも結果を出したいと思い、長年師事したのです。 選手と指導者の関係は多様で、個性や独自性が存在します。それぞれの相性も重要です。一例ではありますが、 まさに私自身は久世コーチとの出会いが人生を変えました。 子供や選手がスポーツを通して目標を持ち、成果を求める場合、そのレベルが高いほど技術の習得に時間がかかり、トレーニングの強度も高まります。言うまでもなく、その過程で必要なのは努力を継続する力、「忍耐力」です。自分にとってやりやすい環境だけでは成長できず、成長できない責任は最終的には選手自身が負うことになります。「科学的根拠に基づいた正しいトレーニング」は厳しいものですが、それを合意形成された状態で、できるだけ楽しい雰囲気の中で自発的に取り組む。そしてお互いが信頼関係のもとに共通の成果に向けて忖度なく本音で語れる、そんな状態が選手と指導者の理想的な関係性だと考えています。 文/松田丈志 写真提供/株式会社Cloud9